
著:たくみ けいすけ
プロローグ
第01話 私は釣りが好きである、大好きである。
ひとときの休息、煙草をのんびりふかせながら、いつの間にか私の魂はうきうきしながら美しい渓や静かな湖へと一人旅を始める。
正確なキャストとスムーズに伸びたフライライン。その先に結ばれた小さなドライフライが絶好の場所をとらえると、まるで潜水艦のようにゆっくり浮上してきた尺ヤマメは、私の心臓までも持ち去ろうとしている―。
フライラインは鋭いループを描き、目の前の空間を切り裂きながら飛行を続け、フルラインが手元から放出され、弱々しく独特な光を放ちながらストリーマーは大きな魚の脇を今にも通り過ぎようとしている―。
突然のボイルは、寝不足で疲れた私の意識と湖を目覚めさせ、狂った魚たちが私の射程距離内へと徐々に近づくと、愛用のロッドはパワーをいっぱいに溜め、標的めがけて今にもその力を先端のフライに託して放とうとしている―。
ぼんやりと煙草をくわえながら、空想の世界は私の中で私の時間を完全に停止させてしまう。厳しい現実を冷静に省みない、私の悪い癖である。
私は、たくさんの魚を手にしたわけでもない。
むしろ「何をしに行ったの?」と聞かれ ると、「ちょっと、竿を振ってきただけ」と返答することが多い。想像力とはすごいもので、 釣れないという経歴を簡単に無視して、いつも私は叶いそうもない夢を追い続けている。
いくら釣れなくても、空想の世界が先行しているものだから、長年、私の生活の中に釣りという行動は溶け込んでしまい、まだ会った事のない魚たちを追い求めているのにちがいない。
「こんなに釣れないのに、なぜ釣りをやめないのか」それは多分、釣りに付随する全ての行為が、私を刺激し、魅了してやまないからであろう。
私がフライフィツシングと出会って、かれこれ20年になる。
フライ歴20年とは名ばかりで、私の頭脳ではどうしても理解できない問題や失敗の連続だった。
勿論、今でもそれは進行中なのだが、初期の頃はハリに餌を付けて、山女魚やタチウオを友人と楽しく釣りに行ったり、釣果を競ったりもした。単純に、釣りは面白いと感じていた頃だった。
ルアーフィッシングも最近まで夢中にやってきたし、釣れた時の感動と、
自然を理解し観察する力を与えてくれたような気がする。家の中にルアーが何個あるか数えた事もないのだが、私が釣った魚の数の数十倍はあるだろう。新製品が欲しくなったり、 釣具店の主人の勧めで意図しない物を購入したりして、いつの間にかロッドやリールなども増えてしまう。反面、手中に収めた魚の数はと言えば、言うに及ばず、寂しい限りなのである。
こんなに釣れない釣りを懲りずにやっている私にとって、どうしても自分なりに納得のいくものにしたい存在、この釣りを知ってしまったからこそ、魚との対面が急激に減少してしまったと言ってもいいかもしれないもの、それが、私のフライフィッシングだった。
私のフライ歴のおかしさは、前述した通りで、お解りいただけたと思うが、少々ここで付け加えさせて頂ければ、初めの頃は、フライフィッシングの意味が分からず、気楽に楽しめる投げ釣りをやったり、その後は、キャスティングやフッキングに悩み、ルアーに手が伸びたりと、ただ単純にフライフィツシングへの憧れだけが強かった。
素晴らしいフィールドに立ち、フライロッドを手にするのだが、さんざんなめに遭い、失望感と諦めの気持ちだけが私を襲ってくるのである。
ミャク釣りやウキ釣りの方がやはり私には合っていたし、ルアーフィッシングはスリリングだった。
「もう止めた」と何度思っただろう。
その度に、穴があくほど苦手な横文字を理解しようとている自分がおかしかった。
やはり私は日本人。趣味で釣りをしているだけなのに、なぜか水辺に立つと一人の漁師になっていた。
この感覚を捨てた時から、本当の私のフライフィッシングは始まった。