
著:たくみ けいすけ
1984年
第12話 オフシーズン
人は、興味あるものに対して、強い関心を示し、時を惜しまず探究しようとするものである。10月、私は覚えたてのフライフィッシングができなくなり、多少、抜け殻のような気分になっていた。
この頃、フライフィッシングという釣り方は、渓流だけのものであり、湖やダム湖、ましては海などで行う釣り方だとは全く考えてもいなかった。
特に九州のダム湖の水質は決して素晴らしいとは言い難く、その上、ほとんどが人造湖のため、急な斜面が背後に迫り、バックスペースがとれないため、フライフィッシングには不向きだと私は思っていた。
ロッドを振りたい願望は、自然に私をルアーフィッシングへと傾かせていったし、知人と過ごしたブラックバス釣りは、私たちをとても楽しませてくれた。
私は、実際のフィールドに出かけ、釣りをしないと気がすまない性分なので、オフシーズンのルアーフィッシングは、だんだん私を虜にしていった。
秋も深まり、朝晩の冷え込みは日常生活にもだんだん影響を及ぼし、なんとなく外に出るのが億劫になるこの季節。
ブラックバスの活性もだんだん落ち気味。
私は、ぶらりと釣具店に出かけた。
ルアーやフライ用品をざっと眺めた私は、レジスターの横のガラスケースの上に挟んである写真にふと目がいった。
50cmはあろうか、鼻曲がりのオスのニジマスが、ルアーロッドの脇にその魚体を横たえていた。
釣具店の主人に何処で釣れたのかを尋ね、私は次の休日、その川を訪ねてみる事にした。
黒川に出かけたのは、ススキの穂が一面に揺れる11月19日の風の冷たい朝だった。
名前が示す通り、本当にこの川は黒く、普通の川とは少々趣が異なる。
阿蘇の外輪山の中に位置し、降り積もった黒い火山灰で形成された平野を緩やかに流れている。
大きな岩や堰堤、滝壺などはなく、目立ったポイントもない。
川幅は狭く、何処をどう狙えばいいのかわからない。
こんな川にそんな大きな魚が本当にいるのかと、釣りを始める前から疑いたくなるのは、私だけではないだろう。
私は、小国方面から大観望を越え、幾つかのカーブを急いで通り抜け、一本目の橋の上に車を止めた。
下に流れるのが黒川である。
左が上流、右が下流。
私は左にハンドルを切り、5分ほど車を走らせた所で、トランクから道具を下ろし、早速ルアーをキャストした。
一般的な渓流にしか慣れていない私にとって、物足りなさを感じさせる流れで、何処をポイントとして定めたらいいのか分からない。
よって、川は一瞬のうちに私のやる気を奪ってしまう。
しかし、せっかく何時間も車を走らせて来たのに、このまま引き下がるわけにもいかない。
私は、仕方なく釣りを続けた。
1時間も過ぎただろうか、未だにポイントらしき場所は見つからない。
あえてポイントらしき所を挙げるとすれば、川岸の深み、本流と支流の合流点、テトラやコンクリートの脇、小さな段差がもたらす落ち込みぐらいである。
ルアーをキャストするたびに、水中に生い茂っている藻がフックにへばり付く。
ふと、私はある雑誌に載っていた、欧米のニジマスの写真を思い出した。
巨大な奴がのんびりと緑色に光る水草の間を泳いでいる。
いかにも荒らされていない大自然を思わせる一枚の美しい情景だった。
魚が身を隠す障害物の少ないこの川において、もしかして魚は、広がる藻の中かその脇に位置しているのではないかと、その時、私は何となく考えた。

そうなると、川全体がポイントになりそうである。
気を取り直し、ある程度ポイントを絞りながらも、できるだけ広い範囲をカバーする気持ちで、私はルアーをキャストし続けた。
根気と根性と意地の何ものでもない。
身体の疲れに精神的なダメージが私を襲う。
釣り人は、ただ我一人。
時計の針は11時をさそうとしている。
河原に生える茎の太いススキが微かに揺れ、土手沿いの小道には一台のトラクターが止まっている。
その向こうには畑が広がり、曇り空をバックに阿蘇の山々がぼんやりと見える。
こんな川に魚は本当にいるのだろうか。
疑いは、どうしてもつのるばかりだった。
腹も減り、そろそろ帰ろうか。
諦めながら、川土手の小道を上流へと歩いた。
しかし、視線は右下を流れる川から離れない。
虚しい気持ちを捨て去る事もできず、私は「福田島橋」という小さな石橋の下の流れを見つめていた。
橋の欄干の下の複雑な流れがなんとなく気になる。
そこで私は、橋の10m程下流に立ち、キャストを開始した。
絶好のポイントへ4〜5回やっては見たものの、何の返答もない。
やけくそで下流へキャスト。
その時、突然ロッドにズシッとくる重みを、私は初めて感じたのである。
間違いなく魚が、私の投げたスピナーに付いている。
水面は盛り上がり、不意の出来事に慌てる自分を抑え、私はリールのハンドルを巻いた。
細いラインを使用していたので、切れるのではないかとそれだけが気掛かりだったが、意外にも魚は、上流にいる私の方へと少しずつ暴れる事無く近寄ってきた。
やはり、ニジマスは存在していたのである。
丸々と太ったピンク色に輝く34cmのメスのニジマスを見ていると、興奮は、私の身体に蓄積された嫌な疲れを何処かへ吹き飛ばした。
私を包む盆地特有の淋しい秋の景色さえ、何故か温かく感じられた。