
著:たくみ けいすけ
1984年
第13話 開始
ニジマスにしては決して大きな部類に入るサイズではなかったのだが、初めて訪れた際に、釣れてしまったと言うか、いわゆるビギナーズラックとでも言おうか、私にとって記念すべき出来事になったことは言うまでもない。そして私は、ルアーフィッシングの世界へ完全に溶け込もうと、拍車はかかる一方であった。
この頃、釣りの雑誌にはスズキという魚が頻繁に掲載され、ミノー系のルアーで釣られている写真が数ページにわたって紹介されるようになった。
現在のようなシーバスロッドと名の付くタックルではなく、固い船釣り竿を利用してルアーをキャストしていた頃である。
1m程もある魚が食いつくとあって、私はこの魚に強く興味を引かれた。
当時よく雑誌を飾っていたのは、神奈川県の花水川や相模川の河口でのスズキの写真だった。
私は穴が開くほど、大きくて美しい魚体を見つめ、未知のフィールドへと自然に引き込まれていった。
しばらくして、雑誌にもシーバスロッドなる商品が掲載されるようになり、私は11 ftの3本つなぎの専用ロッドを通信販売で購入した。
「ヤマメ研究会」の活動内容も、シーバッシングに多大な影響を受けると、渓流へ出向くことを忘れ、「スズキを釣ってみたいね」が合い言葉に変わっていった。
いろいろスズキの情報を集め、私たちは何処でルアーをキャストしたらいいか、知恵をしぼった。

情報と言っても、まだこの頃の九州で、ソルトウォーターフィッシングに取り組んでいた釣り人はごく少数だったに違いないので、「ルアーでスズキをかけた」なんて話は聞いたこともなかった。
よって私たちは、いろんな釣り雑誌に目を通し、餌を流してスズキのかかった期待の持てるポイントを、まずは懸命に探した。
そして「ヤマメ研究会」としての考えは、北九州の関門海峡に面する門司港にある、通称L波止に集結する事にした。
L波止にしたわけは、まず実績がある事、そして、いたる場所に明かりがあり、小魚が集まるだろうと考えたからである。
私たちの住む筑豊からは、有料道路を使っても1時間以上車を走らせなければならなかったのだが、元気に「ヤマメ研究会」は、たまにしか見る事のできない夜の海へと向かった。
しかし何度出かけても、タチウオをヒットさせたぐらいで、スズキに巡り会うのはほど遠いような気がしていた。
ダム湖や渓流での釣りのように、ポイントを狙ってキャストするわけでもなく、ただ暗闇に向かってのロングキャストとリーリングの繰り返し。
私たちは腰痛に悩まされ、背中の筋肉のきしむ音が聞こえてくるように感じられた。