
著:たくみ けいすけ
1985年
第20話 誕生
3月24日、日曜日、この日は「ヤマメ研究会」のメンバーの一人の結婚式が小倉のホテルでめでたく開催され、披露宴でのスピーチを私は頼まれていた。彼とは同期でこの職につき、楽しみ、悩み、そして釣りを共にしてきた仲だった。
私が結婚式を行った際にも、自分から披露宴の司会を引き受けてくれるほど人情に厚く、面白い男だった。
土曜日の夜から、私も彼の晴れ舞台となるホテルに宿泊し、数人で小倉の町にくり出し夜遅くまで、彼にとって独身最後の酒を飲んだ。
気になる妻の容態について、実家に電話を入れるのだが、まだ陣痛は起こっていなかった。
深夜、私はホテルに戻り、シャワーを浴びて、すぐにベッドに入った。
次の朝、スピーチの原稿をまだ考えていなかったので、ホテルの喫茶コーナーで熱いコーヒーを飲みながら、酒のまだ残った身体を目覚めさせ、私は鉛筆を走らせた。
その後、私は苦手なスピーチを何とか無事に終わらせ、会場を出てロビーの電話に向かった。
まだ産まれていない。
披露宴も全て終了し、彼と彼女は車に乗って新婚旅行へと出発。
近頃あまり目にしないかもしれないが、缶を紐で車の後ろに結び、私たちは、彼と彼女の旅立ちを温かく見送った。
この2日間で、私は何度公衆電話を利用しただろうか。
待てば待つほど、出産の気配はない。
彼の披露宴に私と会長の二人が、「ヤマメ研究会」から参加していたのだが、2日前60cmのシーバスを釣った紫川が、私たちのすぐ側を流れているのである。
二人とも考えることは同じ。
産まれそうなら、私は当然妻の所へ急ぐはずだったのだが、どうもこの日は産まれそうにない。
私と会長はスーツを脱ぎ、フィツシングスタイルに変身し、一路紫川へと車を走らせてしまった。
2日前にも釣れているという実績がある。
この潮で、まだ魚は上って来ているはずである。
3月24日、日曜日。
この日が私にとって生涯忘れられない日になるとは、全く思いもしなかった。
早速、私と会長は住友金属前の紫川に立ち、ルアーのキャストを開始した。
この日は中潮で、満潮が23時7分。
しばらくすると、「ヤマメ研究会」のメンバーであり、2日前に私と一緒にスズキを釣った彼も訪れ、3人は懸命にキャストをくり返した。
そして好調の彼にまず一匹、20時30分、先日と同じルアーで50cmがヒット。21時30分、会長に念願のファーストヒット、30cmと小さなシーバス。
初めて釣れて嬉しいのだけど、サイズに不満が残ったのだろう。
会長は素直に喜んでいいのか迷っている様子だった。
私たちは、彼に対して喜びの気持ちを込めたつもりだったのだが、会長は何かブツブツ言っている。
しかし、メガネの奥の小さな瞳は、やはりニッコリ笑っていた。
そして、22時50分、64cmが私にヒット。
24時、60cmが会長にヒット。
今度はサイズも引きも申し分なく、会長は満たされた顔をしていた。
3人とも魚を手中に納め、私たちの紫川フィーバーはこの日も続いていた。
その時、一台の赤い車が私の所に近づいてきた。
ドアを開けて駆け寄ってきたのは、私の中学・高校時代の友人だった。
私の顔を見るなり、「お前、産まれたぞ!」。

私はすごく驚いた。
タイミングは最悪である。
釣りをしている時に、我が子が誕生したのである。
北九州で結婚式の披露宴に出席している事だけ、妻の実家に知らせていたのだが、釣りに行くということは内緒にしていたので、私の居場所がつかめず、みんな困っていたらしい。
そこで、北九州市折尾に住む彼の所に実家から、私が何処にいるか知らないかといった内容の連絡があり、彼は夜中、車を飛ばして紫川まで伝えに来てくれたのだった。
しかし、今思えば、確かに彼も一度紫川を私たちと一緒に訪れた事はあったのだが、なぜ私がこの日、住友金属前にいると彼に分かったのだろう。
不思議である。
彼の話を聞いて、私は急いで帰宅しようと考え、釣ったシーバスがつながれているストリンガーを水中から引き揚げようとしたら、妙に軽い。
魚はストリンガーを振り切って逃げてしまっていたのである。
魚が逃げたのと、子供が誕生したのと、どちらが先なのか分からないが、なんとなく奇妙な組み合わせであった。
その夜、妻の所へ直行すれば良かったのだが、不都合が生じ、私が病院に着いたのは25日の午後だった。
初めて対面する我が子、疲れ切った妻。
釣り好きが災いして付き添うこともできず、私は本当に済まない事をしてしまった。
長男誕生というのは、かつて経験した事のない感動であったが、みんなに迷惑をかけてしまったという罪悪感から、その日の夜は、私にとって大変長い反省の時となった。
長男も今は20才なり、気が向けば釣りに付き合ってくれるようになった。
息子は3年生ぐらいまで、父親の職業を魚釣りだと思っていたらしい。
つまり、普通ではない釣りに対する父親の姿を、幼い時から息子は感じて育ってきたに違いない。
私のことをどのように思っているのか分からないが、未だかつて一度も、息子の方から釣りに行こうと声をかけられた事がないのは、自分の誕生の時の私の行動に引っ掛かりを覚えているからだろうか。
また、息子がこの世に生まれた日、いや、その瞬間、私は釣りをしていたという紛れもない事実は、事あるたびに今でも家族の会話に持ち出され、私は不利な立場に追い込まれてしまう。
釣りも時には、頭のあがらない事態を引き起こしてしまうものである。
一週間後私は、男の子が産まれた記念に、シーバスロッド9ftを一本購入した。
妻も無事退院し、しばらくは実家で静養する事になった。
私としてもひと安心だった。
4月9日、紫川まで私を呼びに来てくれた折尾の友人と、住友金属前でキャストするが、全く魚の気配なし。
次の潮を期待して、4月18日、新しく購入した9ftのシーバスロッドを積んで紫川へと急いだ。
この日は大潮の一日目で、満潮は20時43分。
使用ルアーは、昨夜完成したばかりのM44F、10cm、11g。
潮位がものすごく高く、私たちが紫川に到着したのは午後8時を若干過ぎていたので、急いでロッドを振り始めた。
21時30分、私の予感は的中した。
ものすごく引きの強い丸々と太ったシーバス。
ランカーバスを思わせる奴は、陸に上げられるとイワシを吐き出した、52cm。
「52cm」。
誕生記念に買ったシーバスロッドで初めて上げたスズキの体長は、偶然にも我が子の誕生時の身長と一致していた。
紫川にまで私は心配をかけたのだろうか。
目の前に横たわるシーバスの姿を、私は何となくただの魚に思えずにいた。
4月22日も23日も、仕事を終えた私たちは、連日紫川へと直行したが、望み通りにはいかなかった。
会長は21日にも訪れたらしく三連チャン。
ヒットもなく疲れはピークを越えていた。5月2日に友人が60cmをヒットさせた後、だんだん夜も暖かくなり、ボラが跳ねる季節になると、シーバスは私たちに顔を見せてくれなくなった。
この日、この年の私たちのシーバッシングは終了した。
「ヤマメ研究会」の主力メンバーである会長と、ルアーを私に教えてくれたM氏、そして私の3名は、紫川に魂を抜かれたようにシーバッシングに熱中した。
そして、密かに夏の四国遠征を私たちは計画していたのであった。