待ってろよ、魚たち。
著:たくみ けいすけ
 
1986年
 第22話 遠征

写真043魚が釣れようと釣れまいと、私は定期的に発行される釣りの雑誌に目を通し、まだ挑戦していない釣り方や、行ってみたい場所を空想するのが常だった。

雑誌を見ている時だけでなく、休憩している時間や食事のひとときなど、一日たりとも私は自分の生活の中で、釣りや魚の事を忘れた事はなかった。

職場の仲間も私の趣味の事を知っていたので、忘年会等の宴会の席で、時々話のネタ作りのためか、釣りのについて尋ねられる事があった。

質問の内容はだいたい似通っていて、「釣りをされるんでしょう。

面白いですか?」や「海釣りですか? 川釣りですか?」時には「釣りって短気な人の方がいいんでしょう?」等、他人の人格まで規定してしまうような事さえある。

餌もルアーもフライフィッシングについても「研究熱心じやないと釣れないでしょう」ぐらいは言ってほしいと私は内心思いながら、「そうかなぁ」と返答するぐらいにして、酒を飲む。

以前、恥ずかしながら私も釣りに熱が入りすぎていて、「面白いか?」等と酒の席で尋ねられると、「あのね、毛針にヤマメが水面に出た時は、興奮するよ。

それをフライラインというので飛ばすんだけど、それがなかなか難しくってね。

ルアーはいつも動かしているからね。結構身体は疲れるよ」等と、知らない人にも楽しさが分かってもらえるようにと誠意を込めて熱弁したものだった。

力が入りすぎると、どうも私の意図する内容が上手く伝わらないようで、そんな時、相手から必ずと言っていいほど、「ウキをじっと見てて、退屈しませんか」という言葉が返ってくる。

酒の席とはいえ、私はやっぱり落胆してしまう。

興味のない人には、どう説明しても『馬の耳に念仏』なのである。

さて、7月も中旬を過ぎると、毎年私はソワソワしている自分自身を感じていた。

休暇を取りやすくなるし、必然的に水のある所に行く機会が増えるようになる事を知っているからである。

また、この夏は四国への一週間の釣り旅行を前々から計画していたので、尚更だった。

四国に行ってみたいと考えたわけは、第一に、行った事が一度もないから。

第二に、険しい四国山地をはうように流れる川でロッドを振ってみたいと思っていたから。

第三に太平洋へ流れ込む河川でのシーバッシングに心引かれたからである。

もちろん、雑誌で目にした四国の美しい光景が大いに私を魅了し、決断に拍車をかけたのは間違いないのだが、とりわけ当時注目を集めていた「アカメ軍団」は、私の興味を引いた。

牛のようにラインを引き出す魚とは、いったいどんな奴なんだろう。

旅立つ前、四国への憧れのボルテージは、日に日に高まる一方だった。

私たちが四国は松山行きのフェリーに乗船したのは、7月30日の夕方だった。

ルアーを教えてくれたM氏、「ヤマメ研究会」に新しく入ったF氏、そして私の3名は、限りない夢をそれぞれの胸に抱き、まだ見ぬ地へと出発した。

会長は都合が付かなくなり同行できなくなったのだが、4WDの愛車を快く私たちのために貸してくれた。

実は、私も前日から微熱が出てしまい、M氏に「迷惑をかけたらいけないから、今回の釣りは云々」といった中身の話をしたところ、心配いらないから一緒に行こうといった類の返事をもらい、すぐさまかかりつけの医者で注射を打っての遠征となった。

気持ちの盛り上がりが、身体から熱をも発してしまったのかもしれない。

傷んだ畳の敷いてある二等寝台。

毛布一枚だけの雑魚寝は、風邪気味の私の身体にはきつく応えた。

松山に船が着いたのは、まだ薄暗い曇った朝だった。

船のデッキに上り、車に目をやると、煙突から夜通し放出された煙と煤でボンネットは黒く汚れていた。

7月31日、初めて見る四国の風景。

どの道を経て辿り着いたのか、私たちは、仁淀川上流に位置すると思われる黒川という名の流れの中に立っていた。

テニスコート程のプールが堰堤の上に広がっていて、上流からプールの流れ込みを遠めに眺めながら歩くと、砂州のきわに直径2m程の水溜まりができていた。

大雨の時に迷い込んだのか、一匹の大きなヤマメが、魚体を微かに傾かせて泳いでいる。

「こんなのがいるのか」と思いながら、私は堰堤付近までM氏とF氏のルアーキャスティングに期待を抱き、薄く黄緑色にきらめく水中を見つめながら歩いた。

堰堤のコンクリートの壁には苔が生え、苔は水中へと深く深く伸びている。

「こんな所にデカイのがいるんじゃないか?」と私が冗談で言った矢先、F氏のルアーロッドが大きく弓なりになった。

本当に何かがF氏のラインを死にものぐるいで引っ張っているのである。

ロッドを持つ手は震え、顔面は引きつっているF氏。

午前8時15分、F氏にとって初めての大物は、32cmのニジマスだった。

この日、M氏もヤマメ3匹をヒットさせ、四国の魚を手にした喜びを語ってくれた。

残念ながら、私のフライには一匹なりとも魚は振り向いてはくれなかった。

曲がりくねった山道を車にゆられ、冷たい川の流れに身をさらし、睡眠不足との闘いで、私の身体の疲れはピークに達していた。

微熱の続く身体を休ませたのは、河原に張った狭いテントの中だった。

その夜の私はぐっすりで、薬も効き目を発揮してきたのか熟睡し、次の日は嘘のように熱も下がり、爽快な朝を迎えた。

早速、近くの渓流へ向かったのだが、3人ともあまり芳しくなく、気持ちを切り換えて、高知市を通過し「アカメ軍団」の拠点である奈判利川を目指した。

私たちが奈判利川に到着した頃、沈みかけた太陽は水面をオレンジ色にギラギラと照らし、生温かい風が私たちの側を吹き抜けていった。

「やってる、やってる」太平洋に向かって左側の河口部に数人のルアーマンの姿が見える。

私たちも急いでトランクからロッドを持ち出し、リールとルアーをセットし、お邪魔するのも何だと思い、右側の漁港付近より河口に降り、キャストを始めてみた。

しかし、初めての土地、何の情報も持たない私たちに魚が掛かってくれる確率はゼロに等しいと判断した私たちは、「アカメ軍団」の方々の話を是非聞かせてもらおうと考えた。

早速、左サイドへ移動した私たちは、暗闇の中で相手の顔もはっきり確認できないまま、近くにいた男性に話しかけた。

すると、一人の気さくな男性が、貴重な経験を交えながらアカメやスズキについて親切に答え始めた。

私たちは興味津々で、まるでアカメのように目を輝かせて彼の話を聞いていたに違いない。

私たちは、時の経つのを忘れ、彼の話に思いっきり耳を傾けた。

いつの間にか辺りは真っ暗になり、ふと、左サイドのテトラ沿いに目をやると、私の四国遠征への憧れを実現させる原動力になったと言っても過言ではない人物が、一本の杭となって砂浜に立っていた。

雑誌でしか拝見した事のない人物だが、私は暗闇の中ではっきりと彼を確認する事ができた。写真044

安芸市在住のO氏である。

O氏については、ある雑誌で、アカメと呼ばれる獣のように巨大な魚を、歯を食いしばって抱え込んでいる写真を目にした時から、いつも私の意識の中にあった。

当時は、ソルトウォーターフィツシングと現在言っているような、完全にオープンな海域をフィールドとした釣り方よりも、人間の生活圏付近の河口部や湾、遠くても磯等におけるルアーフィッシングの方が主流だったように思う。

よって、こんなに馬鹿デカイ魚が河口部で狙えるなんて、私にとって非常に不思議で仕方なかった。

また、タックルについても、こんな細いシーバスロッドにあんな魚が乗るとは到底思えず、私の興味を無性にかき立てた。

目の前に存在するO氏のキャスティングは非常に滑らかで、バックラッシュがつきもののベイトキャスティングリールから放たれた太いラインは、黒く波打つ月夜の海に音を立てて突き刺さった。

宿無しの私たち三人は、この夜奈判利川河口の空き地にテントを張ってキャンプすることにした。

美しい星空に包まれ、奈判利の夜は過ぎていった。

8月2日早朝、私たちは「ヤマメ研究会」の本来の活動目的である渓流を目指して奈判利川上流部へと向かった。

念願の地、四国に遠征するのだから、「ヤマメもスズキもやりたいね」と言って、九州を出発したのだが、朝夕はヤマメの渓流を歩いて、夜はシーバスロッドを振るなんて、いくら若くても体力的に続くはずがなかった。

「どちらか一本に絞るしかない」というのが、三人の共通した結論だった。

だが、一匹も釣れない。昨夜のアカメの話が頭から離れない。

いくら山あいの谷川とはいえ、日がだんだん高くなるにつれ、暑さは厳しさを増し、汗は背中を伝わる。

そして、とうとう日中の川の釣りに耐えかねた私たちは、逃げ出すように平地へ下り、まずは地元の釣具店を訪ねてみる事にした。

釣具店の主人とのやりとりは、必然的にアカメの話題となった。

アカメのホルマリン漬けが展示されている所があるという事を知った私たちは、店を出ると早速、巨大魚の展示場へと向かった。

初めて見るアカメの実物は、想像以上に私たちを圧倒した。

また、釣具店の主人にO氏のことを尋ねると、地元の住民なら知らない人はいないくらいO氏は有名らしく、O氏の自宅への道順まで主人は私たちに教えてくれた。

そして、私たちは図々しくもO氏の自宅を突然訪問してしまったのである。

不精髭は伸び、汗くさい三人の見知らぬ男が、何の前ぶれもなく玄関のドアをノックしてきたものだから、O氏もたまったもんじゃない。

誰だって、変な奴だと追い返すか、相手にしないのが普通である。

恥も外聞もないとは、いくら旅先であろうとも、私たちにぴったりのはまり文句だった。

今でも、O氏に対して、私は反省しきりである。


初対面。


厳しい表情のO氏。


当然である。


しばらくして、私たちのぎこちない説明が逆に受け入れられたのか、O氏は私たち三人を室内へと案内し、穏やかに迎えてくれた。

壁には、畳一枚程はあっただろうか、巨大魚の魚拓が飾られ、私たちは目を見張った。

そして、魚を釣った時の話や、季節、ポイント、数えきれないスズキやアカメの写真。

加えて手土産なしの訪問者に対し、コーヒーのもてなしまでして頂いて、私たちは身の縮む思いを隠せず、O氏の家を後にした。

その日の夜、私たちは何処で寝たのか記憶にないし、記録もない。

そして、8月3日、O氏のアカメに影響されたのか、私たちは、桂浜の水族館に向かっていた。

生きたアカメを是非見たいという衝動にかられたからである。

ガラス越しに泳ぐ生きたアカメは、決して大きくはなかったが、光を浴びる角度によって、本当に赤い目をしていた。

その後西へ向かった私たちが、最後の清流として名高い四万十川に着いたのは、アカメを見た日の午後だった。

四国遠征も終盤に入ったのだが、私にはこれと言って満足できる獲物もない。


この辺で勝負をかけたい。


そんな気持ちで、まずは情報を得る事が大切だと考え、市内の釣具店を訪ねた。

店の主人と話していると、「103cmを掛けた子が来た」と、主人は入り口の方に目をやった。

私も雑誌で「メーターオーバーのスズキは凄くデカイな」と少年が釣ったということは頭の隅にあったのだが、まさか本人を、偶然訪れた釣具店で目にするとは思わなかった。

しかし、釣具店でのんびりしている暇は、私たちにはもうない。

魚を釣らなくてはならない。

どうも、夏場のスズキは厳しいようで、アカメなら後川との合流点で釣れるかも等という情報しかなく、さっぱりのようである。


時期が悪かった。


ただ、もしかすると、河口の先のテトラに行けば、スズキの可能性もあるような店の主人の話だった。

アカメだなんて、とんでもない。

私たちはスズキの魚影を期待して、テトラの先に行ってみる事にした。

夕立がきそうな空模様だったが、私たちは砂浜に車を止めた。

太い川の流れに沿って、テトラの山がまっすぐ海へと連なっている。

想像以上に長いテトラの帯である。

私たち三人は、非常に歩きにくい傾斜したコンクリートの上を、全身で吸い付くようにしてテトラの先端を目指した。

あと20mぐらいの所で、運悪く雨が降り始め、打ち寄せる波もだんだん激しくなり前に進めず、その場でなんとかキャスティングを開始した。

すぐに、私のルアーにカマスが1匹食いついた。

しかし、私たちの置かれている状況は、のんきに釣りをしている段ではなかったのである。

だんだん暗くなるし、波と雨は強まっている。

テトラは滑るし、帰るためには、何十個もの複雑に配列されたテトラの山を越えなければならない。

私たちは、身の危険を頭のてっぺんから爪先までピリピリ感じながら、長い時間をかけて必死の思いで、車にたどり着いたのだった。

8月4日は、車でぶらぶらした後、四国最後の釣りを夕方から深夜1時に及ぶまで、四万十川河口で試みた。

私たちは、残された体力と精神力を精一杯シーバスロッドに込めたのだが、そう甘くはなかった。

厳しい洗礼を受けた私たちに、とうとう遠征のピリオドが打たれた。

第21話    目次    第23話