
著:たくみ けいすけ
今回の遠征は、失敗の連続だった。
目的地の状態を把握できていなかった事が、大きな要因として挙げられる。
細かな原因を述べていたらきりがない。
ただ、土地の人々との出会いは今後も大切にしていきたいと私は考えた。
毎年、O氏には感謝とお礼の意味を込めて年賀状を出すことに私は決めている。
O氏からも、私がまだ釣った事もない魚の写真が印刷された便りが届く。
O氏からの年賀状を、私は日記の年度始めのページに張り付け、新しい気持ちでまた釣りに行くのである。
夏の釣りのスタートを飾った四国遠征が、大失敗に終わってしまった影響から、私は海へ行っても川へ出かけても、どうしても魚の顔さえ拝めない状態が続き、フラストレーションは爆発寸前まできていた。
実はこの夏、異常乾燥注意報が発令され、九州地方の殆どの川は渇水に見舞われていた。
それが、どう関係して、魚が釣れなかったのかを科学的に説明することはできないが、とにかく、私はどこに出かけようと、いらだちと疲労を増産させるだけで、辛い日々を送っていた。
9月になっても絶不調のどん底で、私は魚の引きさえ忘れかけようとしていた。
釣りの雑誌を開くと、たくさんの羨ましいばかりの魚達を手にした釣り人が、満面に笑みを浮かべて掲載されている。
私が訪れた同じ場所でもちゃんとプロポーションのいい奴をキャッチしている人もいる。
日付や時間だって、そう大差はないのに、何がどう違うのか。
釣りは結果がものを言う。
悩んだって仕方ない。
私の身体の中に何か嫌な物体が浸入し、私を困らせているようだ。
早くスキッとしたい。
そんな悶々とした時間が、だらだらと私の周りで過ぎていた。
私が、鹿児島の池田湖のスーパーレインボーやモンスターブラウンを知ったのは、この頃だった。
冷水系の魚が、南国鹿児島に生息している事実。
私は、非常にアンバランスなイメージを持ちながらも、その魚たちの迫力溢れる魚体に度肝を抜かれた。
福岡県甘木市の江川ダムにも同様な魚達が住んでいる事を聞いていた。
まだ一度も行ったことのない二つのトラウトレイク。
その後、この二つのレイクこそが、私の宿敵になろうとは、当時想像もしなかった。
さて、やっと魚が釣れたのは、10月28日。
紫川のヒラメは、長くて暗いトンネルの出口だったのだろうか。
久しぶりにヒラメを刺身にして、会長と私は酒を飲んだ。
秋から年末にかけては、紫川へ8回、近くのダムへマス狙いに5回出かけたが、外れくじばかり。
ただ唯一、11月中旬、福岡県八女市の山沿いにある日向神ダムで40cmを超える大きなウグイを2匹、スプーンで掛けただけで、この年の私の釣りは終わった。
いつも同行している会長は、スズキこそヒットに至らなかったが、ヒラメにかけては絶好調で、コンスタントに釣り上げていた。
12月中旬、彼のルアーを襲った奴は、座布団級の魚体で、電車通りの橋の下から突然飛び出してきた。
物干し竿のように長く伸ばしたギャフを、この時初めて私は打った。
【一九八六年】
この年から、私の江川ダム通いが始まった。