
著:たくみ けいすけ
1986年
第25話 転勤
その後も、私たちの紫川は、私たちの心の中で熱く熱く流れていた。
70cmを釣り上げた会長、それを目の当たりにした私。潮の様子を見て、3月12日までに4回、私と会長はここを訪れた。
結果は残念ながら、会長の得意なヒラメを一匹ヒットさせたぐらいで、シーバスに巡り会う事はできなかった。
シーバス本番だというのに、シーバスは私たちの方を振り向いてはくれなかった。
筑豊に身を寄せ、早5年の月日が過ぎようとしていた。
初めて目にした筑豊の風景も、今は馴染みの景色に私の心の中で変わろうとしていた。
たくさんの人々とつながり、多くのことを語り合った。
友人も増え、特に、釣りに関しては、かけがえのない体験と素晴らしい思い出を私に与えてくれたこの5年間。
家庭の事情で私はこの地を離れなければならないが、全ての出来事を決して忘れることはできないだろう。
3月25日、私はなんとも寂しい気持ちで、最後となるかも知れない紫川へ相棒と出かけた。
この日は、私と会長にとっての実質的に「ラスト紫川」となった。
そして、いつもの通りにロッドにリールをセットしてルアーを結び、いつものようにお互い無言のままキャスティングをくり返した。
対岸に停泊している船の間から、釣りをしていたルアーマンが大きなシーバスを掛けて、仲間と一緒に大喜びしている。
私たちは、ただキャスティングを重ねていた。
今になって思えば、この日私は、いつものように、いつも通りの釣りをしていなかったように思う。している動作はいつもと何ら変わらないのだが、魚に対する願望や期待感がどうしても身体の中から沸いてこなかった。
前日は、私たちの長男も一歳の誕生日を迎え、妻と二人でささやかなお祝いをした。
小さなケーキにたった一本の蝋燭を灯し、息子はキャッキャッとはしゃいでいた。
父親として一年が過ぎ、我が子の成長を嬉しく感じたばかりだった。
順調に育っていく息子を目の前にして、ふと私の脳裏をよぎったのは、一年前の出来事だった。
つまり、長男誕生の瞬間、私は紫川だけを見つめ魚のことだけを考えていたのである。
必死に釣りをしていたのである。
妻や息子の笑顔を覗くたびに、自分自身の中にある紫川が、何とも物悲しく映るのであった。
では、なぜ、私と会長は、この日、紫川へ出かけたのだろう。
多分、私の方から会長を誘ってここに来てしまったのだと思うが、それにしても、虚しくて寂しい釣りになることぐらい、私自身がよくわかっていたはずである。
多分、自分のこの身がいずれこの地に無いことを意識すればするほど、ずっと釣りをしてきた友と一緒にこの川を訪れ、目に映る全ての光景と様々な思い出を、私はこの地に立って、心に刻み込みたかったからに違いない。
精彩のない私のリーリングにヒットしてくれたのは、28cmの可愛い元気なシーバスだった。
今までになく、私は優しくフックを外し、そっとリリースするのだった。
フライフィッシングへの憧れに始まり、ルアーフィッシングを覚え、たくさんの失敗を重ねながら数少ない成功の喜びを味わった筑豊での生活。
ありがとう、紫川。