
著:たくみ けいすけ
1986年
第30話 幻
その後、私は江川ダムに、12月28日を最後に計10回訪れている。釣れたのはブラックバスぐらいで、お目当ての魚は姿を見せず、いやという程、ダム湖でのトラウト狙いの難しさを思い知らされた。
当時、渓流でのヤマメは幻の魚と呼ばれていたが、この私でさえ釣ることができる魚だったし、川には魚が潜んでいそうなポイントがあり、あそこをうまく探っていけば、幻もなんとか現実に近づく事を私は知っていた。
つまり、川を一本の流れとして捉えるのではなく、とりあえず碁盤の目のように、一つ一つを魚の住むスポットとして考え、極端に言えば、狭い水溜まりを釣って歩くような感覚でフライを落としてやればいい。
しかし、ダム湖の場合、そうはいかない。
小さなスポットもないし、広大で限りない水溜まりなのである。
ダム湖でトラウトを釣るなんて、宝くじにでも当たるようなものではないかと、私にはだんだん思えてきたのだった。
しかし、ルアーマンはタフである。
ダム沿いの小道に止めてある車のナンバープレートに目をやると、福岡ナンバーはもとより、久留米、佐賀、時には熊本、長崎等、遠方よりこのダムへ思いを馳せ、早朝からキャストをくり返している。
「最近、魚は釣れていますか?」等という会話を交わすのだが、残念なことに、ニジマスやブラウントラウトを掛けた人を一度たりとも確認したことはなかった。 12月28日は雪が降り、寒さも厳しく、ガイドに薄くはる氷を時々ふるい落としながら、私はキャスティングに精を出した。
結果は醜いものだった。
静寂の中に、時折聞こえてくるのは、対岸の舗装道路を走る車やバイクの騒音。
そして、渡り鳥の鳴き声と羽音だけ。
「来た」とか「いた、いた」等の錯乱した釣り人の声もたまには耳にしたいものである。
みんな何を考えてルアーを投げ続けるのだろうかと、釣れない私は下らないことを考えるのだった。