
著:たくみ けいすけ
1987年
第31話 タチウオ
年が明けたものの、前年の江川ダムでの不調と苦悩による後遺症のため、なんとなく気分の晴れない正月を私は迎えた。
実は、年末31日から、滅多にしたことのない親孝行でもと考え、熊本県天草の下田温泉に7人の身内だけで宿泊することにした。
下田といえば、釣り人にとってヒラスズキで有名だったし、釣り好きな叔父にも喜んでもらえると思い、私にとっても非常に好都合な宿泊先だった。
勿論、私の狙いはヒラスズキであった。
しかしこの時期に釣れるのか、ポイントは何処なのか等、一切考えず、とりあえず出かけたのだった。
旅館で夕食を済ませ、年が明ける頃、私は一人で下田川河口の港へと歩いた。
潮や満潮時刻等何も調べもしなかった。
河口に着くと、何処を攻めてみようかとまず私は考えた。
下田川河口は、意外に狭く、右手は小さな漁港となっていた。
漁港と河口との間に一本の埠頭が突き出ていて、明かりが灯っている。
ここでの最高のポイントかなと思ったのだが、2人の男性がウキを流している。
そこで私は、河口に架かる橋げたへ向かって、ミノーをキャストしてみることにした。
5〜6回、ミノーを泳がせた時に、早くもアタリが来た。
当たった時は、結構ガツンと来るのだが、その後の引きに力強さを感じない。
覚えのある感触。
暗い夜、漁港の光を微かに浴びて、水中から姿を現したのは、ギラギラとシルバーメタリックに輝く60cm程のタチウオだった。
この日は、この年の初釣りである。
釣れないよりも釣れた方がいいに決まっている。
いくら外道でも上がってきたタチウオの魚体を見た時、暗闇の中で私はただ一人ニッコリ笑っていただろう。
そして2匹目、3匹目とタチウオは私のルアーを何の疑いもなく襲って来たのだった。
ウキ釣りの一人が右へ移動したのを確認して、私は埠頭の先端の左手に場所を移した。
早速、一投目にタチウオのヒット。
10回キャストすれば、必ず一匹はルアーを襲って来る。
ほんの短時間の内に15匹ぐらいは釣っただろうか。
入れ食いとはこのような現象を意味するのか。
だが、一匹釣るたびに、釣りの面白さが減少していくのも事実だった。
タチウオの鋭い歯で、ルアーはずたずたに割かれている。
私は、ロッドをたたみ、旅館へ帰る仕度を始めた。 ウキ釣りをしていた二人は、ずっと私を見ていたのか、一人が私に「餌は何を使ってるんですか?」と尋ねてきた。
二人とも、何も釣れていないようだった。
私は、ルアーを見せ、「これで釣りました」と誇らしげに答えた。
この夜は、どのルアーをキャストしてもタチウオは容赦なく鋭い歯をむき出しにして襲ってきた。
男性は納得したのか、また竿を出して釣りを続けた。
旅館に帰り、私は自慢げにタチウオをみんなに見せながら、河口でのことを話した。
特に叔父は興味深く話を聞いてくれた。
本命はスズキだったことなど、自分自身をすっかり忘れていた。
数時間の睡眠をとり、早朝暗い温泉街を抜け、私は再び河口へと向かった。
明るくなってきたためか、タチウオは何処かへ移動してしまったのだろう。
30分程ルアーをキャストしたのだが、全くアタリもなく、そろそろ帰ろうとした時、埠頭の先端に昨夜の二人の男性が釣り道具を片づけようとしているのに、私は気がついた。
近づいてそっと見てみると、クーラー2個分魚がびっしり敷き詰められている。
話をして分かったのだが、彼らは私と分かれた後、何処で手に入れたのかしらないが、キビナゴという小魚を買いに走ったそうである。
そして、その小魚を餌にしてタチウオの入れ食い状態を演じたという訳である。
つまり、私のルアーの、いやルアーフィッシングの威力を見せつけられ、それを彼らは餌釣りに上手く取り入れることにより、大成功を納めたのであった。
結局、タチウオは飽きるほど釣れたのだが、肝心のヒラスズキの姿を拝む夢は叶わなかった。
当たり前である。
紫川のスズキで、そう甘くないことぐらい、自分自身がよく知っているはずである。
天草を後にする際、私たちが宿泊していた旅館の2〜3軒隣に小さな魚屋があるのに気づき、そっと私は、並べられた魚箱の中を覗いてみた。
なんと、大きなヒラスズキが一匹、タイや青物魚の間に混じって売られているではないか。
「俺を釣ってみろ」と言わんばかりに、ヒラスズキは堂々とした風格を漂わせながら、丸々とした魚体を横たえていた。