
著:たくみ けいすけ
1987年
第32話 坂道
初釣りは、私にとってまずまずの結果に終わった。
今まで私は、初釣り等という、何となく慣習めいたものに興味はなく、どうでもよかった。
現在でも、その気持ちは変わらないのだが、もしも、初釣りでその一年の自分の釣りを占うとするならば、それは私にとって、途轍もなくナンセンスであった。
なぜならば、次の年から、私にとって、正月の池田湖通いが毎年恒例となるのである。
まずは、江川ダムで満足のいくサイズのトラウトを釣り上げたいというのが、当面の私の大きな目標であり、課題であった。
そして1月5日、江川ダムへ向かった私は、寒さに耐えながらキャスティングをくり返すのだった。
釣れるのはブラックバスぐらいで、他には何も掛からない。
トラウトを狙っているのに、ブラックバスが釣れてしまうと、リリースはするものの、「何故、バスが釣れるんだ!」と一人でブツブツ怒っている。
逆に、何時間も寒い中でキャスティングしているのに何も釣れないと「バスぐらい釣れてもいいのに」と私は頭の中でいつの間にか考えている。
そして、スプーンを使っていながら、釣れない不満を解消するためか、ブラックバスが居そうな場所へ上手にキャストしている時さえあるのだ。
釣り人って、いや私って、本当に自分勝手な人間である。
よって、せっかくキャストしたスプーンを、ブラックバスさえ相手にしてくれなかった日の私の精神状態は、最悪なのである。
1月17日は、通称、馬の瀬にて、夕方ルアーをキャストした。
対岸に三人のルアーマンが、一生懸命私と同じことをくり返していたが、彼らも結果は私と同じだった。
この日、ある新聞の釣りの欄を見ていると、二日前の15日、65cmのニジマスが江川ダムで釣り上げられたと記されていた。
確か、その日は大雪だったのに、どのポイントで、どのようにして釣ったんだろうと、私は不思議で仕方がなかった。
この冬は、他に1月6日、2月になると1日、13日、15日と江川ダムへ出かけたが、全く魚は振り向いてくれなかった。 釣りをする時間を変え、ポイントを変え、ルアーを変え、カウントダウンもいろいろ試した。
つまり、手を変え、品を変えてやってはみたものの、湖からの反応は全くの皆無だった。
秋から冬にかけて、一般的にダム湖では減水の状態が続く。
よっぽど夏場の雨に恵まれない限り、ダム湖の水量は減る一方である。
ややもすれば、異常渇水に見舞われる。
つまり、一年の内で最もダムの水かさの少ない時期が、この時期だと考えられる。
これは、釣り人にとって、どう影響を及ぼすのだろう。
水量が減ることにより、ダムの範囲も狭められ、流れ込みもはっきりしてくるため、釣れる確率は、若干高くなると考える人もいるだろう。
毎年のように水不足に悩む福岡県の現状を思えば、県民として減水を喜ぶなんて、ひんしゅくものである。
実は、正直なところ、こんなことを考えていたのは私自身であり、単純すぎた自分を今は反省している。
渇水状態になったとしても、ダムは釣り人にとって、想像以上に広いのである。
その証拠に魚たちは、なかなか私のルアーを奪い去ってはくれないではないか。
車を小道の脇に止め、水辺に通じる獣道を抜け、視界にダム湖の全貌が見渡せる場所から水際まで坂道を下りる時。
私は最も楽しい時間を過ごしているのかも知れない。
「行きはよいよい」という歌詞のように、私はいつでもウキウキしながら、一気に坂道を駆け下りた。
ところが、帰りはどうだろう。
渇水のこの季節、これほど心臓に負担のかかる運動は、他にあるはずがないと思える程、疲労困憊するのである。
キャスティングをくり返した肉体的な疲れと、釣れなかった精神的な苦痛。
加えてこの坂道が、私の全身に容赦なくのしかかって来るのだった。
底なし沼から一本のロープを伝わって抜け出すような、まさしく私の身体を重く引きずっているものを、私はいつになったら払いのける事ができるのであろう。