
著:たくみ けいすけ
1987年
第34話 ブラックバス
春、3月。
よっぽど私の気分は落ち込んでいたのか、一匹のヤマメを釣っただけなのに、何となくこのダムを冷静に見ることができるようになっていた。
いつルアーを襲ってくるか予測のつかない魚を狙って、その後も私のダム湖通いは続いた。
3月28日には、日中、目の前まで何かがルアーを追っかけて来て、凄いスピードでUターンする姿を確認できたし、4月24日には、メイフライのスーパーハッチを目撃する等、湖は私に刺激を与えてくれるようになってきた。
5月1日の朝には、通称イタリア岬一面に、メイフライの死骸が散乱していたし、5月4日も8日にも、メイフライのハッチが見られた。
しかし、肝心のマス族の姿は、こんなに多数のカゲロウが水面に漂っているにもかかわらず、全く気配すら伺い知る事もできなかった。
季節がだんだん暖かくなるにつれ、釣れない私を慰めてくれたのが、楽しいファイトを見せてくれたブラックバスだった。
何十回もダムを訪れ、常にボウズオンリーだと想定したならば、とっくに私は釣りを辞めていただろうし、何だか恐ろしい気がする。
私は単に、釣りが好きな人間である。
好きになったのも、まあまあ魚が釣れたからである。
誰だって得るもののない遊びを好きになれる筈もないし、継続不能に陥るはずである。
私の場合、本命はまだ果たせぬ夢でも、ブラックバスがいたから、今も続けていられると考えた方が何となく自然のような気がする。
釣り人は、狙った獲物以外の魚がヒットすると、時々悔しそうな表情を見せたり、腹立たしさを行動に現したりする。
よっぽとコンスタントにターゲットを獲得できる強運な人を除いて、釣り人は、ブラックバスのような外道が釣れてくれるからこそ、釣りを続けられるのだと思うし、本当の獲物へと精神的にも邁進して行けるのではないかと思うのである。
現在、ほとんどのダム湖でブラックバスの姿を見ることができるし、少数のマス族と混住している湖も少なくないだろう。
物理的に考えて、数少ないトラウトを狙っても、圧倒的多数のブラックバスがヒットするのは、数の原理からみても当然だし、いつかは念願のマス族にめぐり逢えると期待してのキャスティングに精を出すしかないのではないだろうか。
このように、ある程度自分なりに気持ちの整理をしているつもりなのだが、私のエゴがときどき顔を出して、ブラックバスに八つ当たりする時だって確かにある。
優しくリリースすることを忘れず、いつかは待望のマス族との対面を果たしたいものである。
6月16日、私は仕事を終えて、近くの山神ダムへブラックバスを釣りに出かけた。
ただロッドを振りたくなったからである。
夕マズメが近づき、森が明るさを失いかけてくると、魚たちのライズが当然のように始まった。
おとなしいライズもあれば、ガラス窓を打ち破ったようなライズもある。
実は、ライズという動作に、私は以前ずいぶん悩まされた。
覚えたての頃の私は、ライズに向かって闇雲にルアーを投げまくった。
しかし、全然釣れないのである。
「ライズ=そこにルアーがマッチすれば、魚が釣れるもの」と、私は思っていた。
しかし、ある出来事をきっかけに、ライズには見極めが必要であることを、私は強く感じたのである。
その日、私は、あちこちで起こるライズめがけてルアーをキャストしていた。
届かないライズもあれば、ロッドの先端に触れそうな所で起きるライズもあった。
水面は、私にとって非常に刺激的なステージとして映っていた。
ルアーやリーリングを変えても、全く魚は私のルアーを襲ってこない。
私はロッドを脇に置き、しばらく騒々しい水面を眺めることにした。 そこで、水面での魚たちの動きには、幾つかのパターンがありそうなことに気がついた。
一つは、全身を空気中に出して、物凄い音で注目を引くライス。
もう一つは、はっきり分かる波紋を残すが、魚体を確認できない静かなライズ。
この二つは、どうもフナやコイの仲間がシャローな水域で楽しく運動会でもやっていると考えた方が良さそうに思えた。
そして、私が一番気になったライズは、数匹の小魚が水面から飛び上がる動作を見せるものだった。
キャストをくり返すたびに、辺りはだんだん薄暗くなっていく。
小魚が逃げまどうように飛び跳ねるライズが、私のすぐ近くで起こっている。
このような小魚の動作をライズと呼ぶのかどうかは別にして、とにかく私の側に何かが接近して来ているのである。
そして何と2〜3匹の小魚が、水中を脱し、岸辺へとはね上がって来たのである。
命がけで逃げまどっている事を私は瞬時に察し、水際の水中に目を落とすと、そこには2匹のブラックバスが、じっと私の足元の方を見つめていた。
小魚たちの動きは、フィッシュイーターであるブラックバスに追いかけられ必死で逃れようとしていたことを、この時私に証明してくれたのである。
跳ねている魚だけを狙うのではなく、その下に位置して襲いかかろうとしている魚がいるという事実にも、神経を集中させて釣りを楽しむ大切さを、私はこの日、目の前で起きた事実をもとに知ることができたのである。
そして私は、小魚のライズにソフトなプレゼンテーションを行い、ライズから見事にフィッシュイーターを引きずり出すことに成功したのであった。
夏至を過ぎ、7月に入ると、日中も長く感じられ、夕方は絶好のバスフィッシングの時間帯となる。
5回ほど仕事帰りに私はダムを訪れ、夕涼みを兼ねた釣りを楽しんだ。
そして、愛着が沸いてきたのか、7月28日の夕マズメに掛けた43cmのブラックバスを、私は職場の水槽で飼ってみることにした。
この魚は、観賞魚を扱っているペットショップにも売っていないという意味から考えると、釣り人にしか手に入らない貴重な魚だし、毎日その様子を観察してみると、なかなか面白い習性を持っていることに気づく。
一躍、子どもたちの人気者になったのは言うまでもない。
小魚以外にもミミズ、虫、ザリガニに、ましてや給食に出たフライや天ぷら等の肉類に至るまで、何でもよく捕食してくれる大食漢だし、人間が近づくと、餌をくれる人の顔を覚えているかのように、この魚は自ら接近してくる。
そして、水槽の上に餌を差し出すと、魚体を水中から乗り出して餌を捕らえようとするし、空腹な時は、人の指にさえ噛みついてくる。
フィッシュイーターというより、「何でもイーター」と呼んだ方がふさわしいような動きを見せてくれる。
また、時折大きな口を思いっきり開けてする欠伸は、なんともあどけない。