待ってろよ、魚たち。
著:たくみ けいすけ
 
1988年
 第40話 イメージ
写真023池田湖の素晴らしさと、マス族との出会いの厳しさを痛感し、私は再び江川ダムへと足を運んだ。

1月から3月にかけて、池田湖の雪辱をなんとか晴らそうと、ガイドに凍てつく氷を振り払いながら、私はキャスティングに精を出した。

計6回、道路が凍結していない日を選んで、私はダム湖へ通じる県道を、寒さと孤独に耐えながらヘッドライトの明かりを頼りに車を走らせた。

しかし、相手が悪かった。

見事、返り討ちにあい、精神的・肉体的ダメージと欲求不満を増大させる結果に終わった。

いくら釣れなくても、この釣りをやり続けている人は勿論、苦痛だけではなく、トータルに楽しめるやり方を心の中で整理して臨むことができればいいのだが、残念ながら私には、そのような器用さを持ち合わせていなかった。

しかし、気分転換も大事である。

幾分暖かく感じられる4月になり、私は久しぶりに紫川を訪れた。

釣りにはイメージというものが大切であり、釣った経験がない場合、いくらキャストしてもどうしても釣れるイメージが持てない。

今、やっていること自体、果たしてこれでいいのかどうか、考え込んでしまいながら、ロッドを振らなければならなくなる。

その点シーバス狙いは、私にとって、まさしくイメージをフルに展開させる上でもってこいの釣りだった。

想定通り50cmのシーバスをキャッチすると、多少リフレッシュした気分で私は帰路につくことができた。

4月になって4回、いろんなポイントで様々なルアーでキャストを繰り返したが、マス族の影さえ見ることもできず、再び私は暗い谷間に入っていくような気がしていた。

「60cmオーバーのブラウントラウトが釣れたよ」なんて話を釣具店で耳にすると、自分にも釣れるのではないかと、なんだか力が沸いてきて、私は架空のイメージを勝手に構成しようとしていた。

4月26日の午後、私は何となく江川ダムを訪れてみた。

ダムに着いたのは午後3時を過ぎていて、空も次第に曇り出したので、私は足早に湖面への獣道を駆け、急いでスプーンでのキャスティングを開始した。

3時20分過ぎ、偏光レンズを通して私の目に飛び込んできたのは、スプーンを追いかけてきた、今までに見たことのない大きな魚の頭部だった。

江川ダムの水は決して透明感があるとは言い難く、陸上から見る限りではせいぜい1〜2mの範囲でしか対象物を確認できない。

よって、釣れるイメージを持っていない私は、不用意にもスプーンを手前の水没した障害物を避けるため高速回転で操作し、スプーンをロッドに納めた後、その魚が急接近していることに気がついたのであった。

そして大きな頭は、私の立っている所からやっと見ることのできる水際の濁りの中に静止し、しばらくの間、じっとこちらを見ていた。

私も動くことができず、画像が一時停止したかのように、私は大きな魚の頭を凝視した。

長い間、釣りを趣味にしていると、いつの間にか様々な興味ある魚の体色や輪郭を覚えるものである。

ゆえに、魚がヒットして自分の手に納まらなくても、パッと見ただけで何が釣れたのか識別できるくらいの知識は、誰だって持ち合わせているだろう。

つまり、私の魚に対する識別感覚とは、魚体を側面から捉えた色彩感覚やプロポーションにより判断していただけであり、正面から魚の頭部を見て、その魚がいったい何なのか、残念ながら私には即答できなかったのである。

写真024ましてや、この濁りの中で、緑っぽくもあり茶色っぽくもある魚の大きな頭の正体を見破ることができないのは、私だけだろうか。

数秒間、私は魚とのにらみ合いを続けた結果、60%ブラックバス、思いっきり期待を込めて、40%ブラウントラウトではないかという答えを出した。

そして、大きな頭は完全に180度回転し、団扇のような尾を2〜3回動かして、暗い水中へと消え去っていった。

私は、何か大きな魚がまだ側にいるような気がして、時間の経過を忘れ、ロッドを振り続けた。

そして、その予感が的中したのは、時計の針がちょうど午後5時を指した時だった。

「ヒット!」10m足らずしかラインが出ていない地点でのアタリに、いつものブラックバスだと思い、私はアワセもせず、のんびりとハンドルを回していた。

手前に寄せた時、私は初めて、スプーンをくわえている魚がサクラマスだと分かり、焦ってしまい、この場にきて力一杯アワセを無意識に行い、同時に魚を陸に引っ張り上げようとしてしまった。

釣り方も醜いが、運にも見放され、魚に陸に上がった瞬間、ルアーの結び目がプチッと切れ、魚は水際でバタバタ暴れている。

私は無我夢中で魚を捕まえにかかったが、胴周りも結構あり、必死にもがく魚をつかむことができず、とうとう魚は浅い水の中に入ってしまった。

私は、もう我を忘れ、自分の膝付近の水中まで魚を追いかけていったが、ちぎれたスプーンを口にしたまま、とうとう魚はいつの間にか何処かへ消えてしまっていた。

その時の悲惨な私の精神状態を、全身びしょ濡れになった自分の姿が正確に物語っていたし、頭のてっぺんから湯気が出るほど、顔面は真っ赤になり、私はロッドを思いっきり地面に投げつけてしまうのだった。

なぜ、あの時、私は魚をとっさに陸に放り上げようとしたのだろう。

ブラックバスを楽しみながら釣るように、落ち着いて対処すれば、帰りの坂道もウキウキして駆け登れたのに。

この失敗は、焦りと自分の中にきちんとイメージを持てていなかったからではないかと、落ち着きを取り戻した私は、盛んに反省したのだった。

丸々と太ったグッドコンディションのサクラマスは、軽く45cmを超えていたし、手の平にはサクラマスの微かな匂いだけが残っていた。

数日後、釣具店の主人と話をすると、60cmオーバーのブラウントラウトが、4月の終わり頃釣れたらしく、この日見たでっかい魚の頭が鮮明に思い起こされたのであった。
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