
著:たくみ けいすけ
1988年
第42話 椎葉3
家族が一名増え、家庭内が幾分安定した状態になった頃には、二男も生後2ヶ月を数えていた。魚釣りの虫が私の身体の中で、出口を求めて活発に動き回っている。
3回目の椎葉を訪れたのは、盆前の8月12日。
勿論、椎葉林道を走る車の助手席には会長が乗っていた。
テントを張り終えたのは午後4時。
すると、突然物凄い雨に天候は急変し、アッという間に川は濁り、釣りどころではなくなった。
久しぶりのフライフィツシングも出鼻をくじかれることとなった。
夏山の天候は非常に変わりやすく、だいたい夕方が近づく頃になると、雷や雨に見舞われる。
短時間の雨なら、夕マズメの川はベストコンディションを迎え、楽しい釣りが期待できる。
しかし、この日はそうではなかった。
おまれに、ウェットスーツと水中メガネを身にまとい、手には銛をしっかり握った怖そうな男性が、大場所に潜り魚を突いていた。
「怖そうな」と記したが、実は、以前私が天草の岩屋という所に、夜のスズキ釣りに出かけた際、同じような人を見かけたことが脳裏をよぎったからである。
その夜、私は小さな港から左側の岩場の小道を抜け、ポイントへと足場を気にしながら向かっていた。
目の前には、風の強い真っ暗な真冬の海が広がっていた。
海の音を耳にしながら進んでいると、突然、水面を叩く音が飛び込んできた。
私はドキッとして、小さなペンライトを音のする方へ向けると、何やら黒い大きなものが動いている。
周りは岩場と暗い海。
その物体は、そのうちだんだん私の方へと近づいてくる。
イルカかアザラシのようなものがすぐ側にいる。
3〜4mの所まで接近してきたその物体は、いきなりブァーッと水中から身体を持ち上げた。
こんな寒い夜、黒いウェットスーツの男性は、いったい何をしていたのだろう。
ただでさえ、少々気味の悪い岩屋の釣り場。
ウェットスーツと水中メガネの組み合わせは、今でも私に不気味な印象を与えていたのである。
13日は、ウェットスーツに負けないためにも、私たちは朝一番に谷川へ入る必要があった。
テントのファスナーを開け外に出ると、満天の星空が私たちを迎えてくれた。
早速コーヒーを沸かし、朝食をとり、車のヘッドライトの明かりだけを頼りに私たちは水無川へと向かった。午前5時半、釣り開始。
会長は15cm程のヤマメを5匹、その他数匹がスピナーを追い、型は小さくリリースサイズなのだが、楽しいルアーフィッシングを満喫していた。負けじと私も絶好調。14番カディスで24cmのギンギラのヤマメや、15cm・20cm級をバラシたりと、サイズはともかく、ここ数ヶ月間のうっぷんを晴らすようなフライフィッシングを楽しんだ。
夕マズメは、大堰堤下で大物をと、ついついロッドを握る手にも力がこもったのだが、そう易々とうまくいかないのが、釣りの面白さでもあり、奥の深いところでもある。
会長が一匹美しいヤマメを釣り上げて、この日はテントに帰り、美味い酒を飲んだ。
14日の起床は午前4時10分。
不思議なもので、仕事となると、疲れがたまっていてなかなか朝が苦手な私だが、釣りとなると、睡眠不足なんて気にならない。
身体が素直に目覚ましのベルに反応している。
私たちはこの日の好運を祈って、朝食に赤飯を食べ、昨日と同じ谷へと向かった。
アッという間に会長はヤマメを5匹。
リリースも手慣れたものである。選択を間違ったのか、フライには反応が鈍く、私はやっと19cmをヒットさせたに終わった。
空はどんより曇り気味。
日中私たちは、不土野川と本流の合流点に立ち、ルアーをキャストした。
しばらくして、会長のウルトラライトアクションのロッドがしなった。
上がってきたのは、チヌを思わせるブルーギル。
心の中で、二人ともサクラマスをイメージしていたので、落胆したものの、意外な魚の登場に、私たちは大笑いをしたのだった。
夕方は、昨日同様、大堰堤下を攻めたが、結局魚は姿を現してはくれなかった。
3日目の早朝は、まず気になる大堰堤を探り、不土野川へと向かった。
大堰堤下では、私のウェットフライに魚が出たのだが、フッキングミス。
椎葉最後の日に、二人とも気合いが入っていた。不土野川に着くと、会長のロッドはもう曲がりっぱなし。
20cm級を6匹、小ヤマメも数匹ヒットさせ全てリリースの感動的なシーンを演じていた。
私は何とか20cmを一匹。
午前8時頃になると、日が高くなり魚の出も悪くなり、私たちはロッドをしまい込んだ。
今回の釣りで、会長は、フライよりもルアーの方が、ヤマメに関しては断然ヒット率が高いということを証明していくれた。
ただ、数多く釣れるだけが釣りなのかと問うのは愚問かも知れないが、一匹の魚へたどりつくプロセスを加味して述べるとするなら、フライフィッシングは最高である。
魚を手にした喜びもひとしおなのである。