
著:たくみ けいすけ
1989年
第44話 池田湖2
四国のO氏から今年も嬉しい年賀状が届いた。この年は、大きな魚たちを数匹並べた写真入りの年賀ではなく、昨年の釣果の一部を紹介したものだった。
93cmを筆頭に2桁のスズキをランディングし、アカメも一本混じっている。一本、一本の魚たちにO氏なりのドラマがあるだろうし、感動も付随されているはずである。
そして、私はO氏からの便りを凝視しながら、欲求不満が蔓延している自分自身を再認識するのだった。
そんな私のイライラを一気に解消してくれたのが、美しい池田湖の風景だった。
私と会長が池田湖の湖面の渕に立ったのは、正月の酔いが醒めかけた1月3日の昼頃だった。
池田湖のマス族について、会長も承知していたのだが、私は電話でいろいろと素晴らしさを伝えるものだがら、彼もいつの間にかその気になって、今回同行することとなったのである。
私にとって二度目の池田湖。
今になって思えば、この頃から「初釣りは池田湖」というのが、私にとって恒例の行事となってしまった。
家族のことを省みず、自分勝手な男だと思われるかもしれないが、池田湖が恒例となったのには一つだけ訳がある。
弁解っぽいこじつけに聞こえるかもしれないが、実は、私のバースデーが元旦なのである。
正確に言うと、12月30日に誕生したらしいのだが、なにせ昔の話、親心が影響してか、役所への届けには1月1日と記したそうだ。
以前、誕生日を尋ねられ、1月1日と答えると、時々「私の友達にもいる」と言われたものだ。
元旦生まれの人って、日本中で一番多いのではないかと、だんだん私には思えてきた。
正真正銘、1月1日生まれの人も勿論いると思うのだが、意外と2〜3日ずれても、私のように元旦にしてしまわれた事例があるのではないだろうか。
誕生日が二つあるようで妙な気がする。
だから、書類に自分の誕生日を記入する時以外、口頭で聞かれた時など、私は本当に自分が産まれた日を答えることにしている。
話がそれてしまったのだが、つまり、私は誕生日のプレゼントという名目で初釣りを池田湖へ行かせてもらっているという訳である。
さて、二回目の池田湖。水量は昨年より多く、私たちはやる気満々。
まずは、「パラダイス」前。
水面に何の変化もなし。
天気は晴れ。
ギラギラと眩しい広大な鏡は、穏やかに周りの景色を跳ね返している。
昼食をとって、午後は「ポンプ小屋」下へ。
苦心して作成したハンドメイドミノーでのホットケメソッド。
3時間程じっと我慢するが、ミノーはゆらゆらと気持ちよさそうに漂っている。
煙草はもう吸いすぎ状態だった。
「貴重な時間、こんなことをしていていいのか」会長は、ただがむしゃらにスプーンをキャストし続けている。
この日の午後、私たちは殆ど会話も交わすことなく水中の魚のことだけ考えていた。
次の日、開聞岳の左側にゆっくり昇る太陽を前に、私たちはキャストを開始した。そこには、早起き上手の数人のルアー・フライマンがキャスティングを繰り返していた。
「みんな、何を考えているんだろう」黙々と同じ動作を規則正しいリズムで刻んでいる。
体力と気力の続く限り、キャストとリーリングを交互に試みるが、この釣りにチャンスはない。
ポカポカして暖かいからといって昼寝をしたり、仲間と草の上で寝そべって美味しいコーヒーを飲んでいても、魚は決して掛かってはくれないのだ。
午後、ポンプ小屋に移動してみると、4〜5人の釣り人が福岡からやってきて、盛んにルアーを投げていた。
その中の一人の男性の話を聞いて、会長と私は非常に落胆したのを覚えている。
彼はなんと、15年間池田湖ノーヒットの記録を持っているというのだ。
宮崎県の御池に行っても、どうても釣れないらしい。
だが、いつか釣れることを信じて、毎年池田湖にやって来ると話してくれた。
開き直っているのか、さばさばしていて妙に明るい。
しかし、私たちも彼と同じ道を進むかも知れないと思うと、ゾクッと寒気が走るのだった。
池田湖の一日は足早に過ぎていく。
気がつくと、赤く染まった太陽は、遠い森の向こうに傾いている。
私たちには明日しか残されていない。
魚は、現実問題として手中にはない。
この答えを見つける手がかりさえつかめない課題を、どのようにして解決したらよいのだろうか。
「困難」「苦しみ」「悩み」「虚しさ」……こんな言葉が頭の中でグルグル回っているようだった。
最終日、案の定、二人とも解決の糸口さえ見つからず、すさんだ心を車の中にしょいこんで鹿児島を後にした。
今回は、夢と希望、そして現実には接点がないことを肌で痛感した私たちだった。