
著:たくみ けいすけ
1989年
第47話 椎葉4
この年も椎葉の季節が近づいた。愛用の机の上は、タイイングの材料やツールが山積みされ、ベストのポケットはフライボックスで膨らんでいた。
私にとって、椎葉行きの準備は完璧に整っていた。
今回は、ドライフライだけでなくウェットフライも試してみようと、典型的なパターンを何種類か用意した。
「大物はウェットで」が決まり文句にでもなったかのように、雑誌に記載された写真や文面は、私の目を釘付けにした。
8月13日の日曜日。
会長と私は、美しい魚たちのことを思い浮かべながら、一路椎葉をめざした。
途中、食料を調達し、熊本県蘇陽町まできた時、いつもの道が台風による崖崩れのため通れないことを知った。
町の茶屋で道を尋ねたところ、店のご主人から土地の詳しい地図をいただき、大変助かったことを覚えている。
かなりの遠回りを余儀なくされ、何とか目的地にたどり着いたのは午後3時。
早速私たちは、テントを張り、釣りの準備に取りかかった。
7時間程の車の旅に疲れはなかったのだが、いきなりアブの大襲撃を受け、これには非常に困り果てた。
首筋や手の平など皮膚は徹底的に攻撃され、ズボンやシャツの上からでも容赦なく突き刺してくる奴さえいる。
会長と私は、煙草のけむりで憎たらしいアブを追い払いながら、谷川へと向かった。
早速、会長はポンポンと小型のヤマメをスピナーでヒットさせ、リリース。
リリースの仕方も手慣れたものである。
私の方は、たくさん巻いたフライの中から、まずはウェットフライを試してみたのだが、いっこうにアタリがない。
一時間経過。
夕マズメ、私たちは大堰堤へ移動し、大物のファイトを夢見た。
まずは、会長に小型のヤマメがヒット。
そしてリリース。
やっと私の8番のドロッパーに出た小型のヤマメは、ウェットフライがまだドライの状態で水面にあるとき、パチャッとフックをくわえた。
美しい魚に変わりはないのだが、魚の出方に納得がいかなかった。
この日は会長の、いわゆるキャッチ&リリースをじっくり見せて貰い、キャンプ地へ帰った。
夕食用のキープサイズは全くヒットしなかった。
実はこの夏、私の家族は結膜炎に悩まされた。
うつるわけがないと安易に考えていた私の眼にも、とうとう結膜炎がやってきていた。
釣りの最中でも、充血した眼には目薬をささずにはいられない状態だった。
さて、次の日は朝早くからシトシトと雨が降り、川は増水し、濁流となった。
本流を諦めて支流の水無川へ向かったのは、すでに9時を過ぎていた。
しばらく、うっとうしい雨を気にしながら上流へと釣り上る。会長のスピナーにも魚の反応はない。
2時間ほどの雨の中のキャスティングも空しく、二人の釣り人が私たちの上流から、竿を片付けザブザブと川をかき回しながら下りてきた。
間違いなくこの二人は先行者らしい。
いくら会長がルアーの名手であろうと、これどは釣れないはずである。
雨は依然雨足を強めながら降り続いていた。
私たちは水無川を諦め、本流との合流点にある広く深いプールにロッドを出した。
すると、「ここで釣ってはダメ」と、橋の上から叫ぶ人がいる。
盆休みで故郷に帰ってきた人たちや村おこしの一貫なのだろう、いたる所にたくさんの魚が放流され、ヤマメ釣り大会が開催されるらしい。
養魚場から移されたばかりの魚を釣るのは何となく気が引ける。
では、昨日会長がリリースを繰り返した魚たちも、2〜3日前までは養魚場のプールでのんびりと泳いでいた魚たちなのだろうか。
雨は止む気配もなく、私たちは心までも湿らせた。
そして、もう一本の支流である不土野川に着いたのは、午後5時を回っていた。
車から下り、川の状態を観察していると、突然の激しい雨に見舞われた。
川はすでに、釣りをのんびり楽しむ状態ではなかった。
さすがの会長も、「ああ、もう疲れた」と嫌気がさしている。
明日もこの分では釣りができそうにない。
「帰ろうか」私の一言で、私たちはさっさとテントを片付け、一目散に椎葉の里を後にした。
フライボックスの中の小さな戦士たちは何の仕事もさせてもらえず、びしょ濡れのフライベストにくるまれ、トランクの隅に放り込まれた。
今回の椎葉は最悪のコンディションで、私たちにとって、片道200km以上の道のりを、何をしに行ったか分からない旅だった。
遠回り、アブの襲来、先行者、そして雨。
二重、三重の壁に阻まれ、やむを得ず退散する結果となった。
まあ、釣れないことに十分慣れている私の強みは、経験が培った回復力ということにしておきたい。
そして、晩夏からの江川ダムへのチャレンジは、すべて敗北という結果に終わり、この年も、私は満足のいく魚たちと出会えることができずにいた。