
著:たくみ けいすけ
大分県の津江の山々から流れる清らかな流れは、やがて九州最大の河川となり海へと流れ込む。
周辺には限りない豊かな実りを育み、飲料水や工場用水をはじめ、生きるもの全てにとってなくてはならない大河、それが筑後川である。
川原川から海へ見下ろす流程には、大きなダムが3ケ所と幾つかの堰堤があり、決して自然のままの姿を残しているとは言いがたい。
そして、平野に形成された町並みを抜けると、満々と水をたたえる太い流れを巨大な建造物が阻むように存在する。
この大きな砦が筑後大堰である。
建築目的を記述する気はないが、釣り人にとってこの大堰の魅力は、淡水と海水の境界線を成しているという点にあるだろう。
つまり、満潮時の潮の流れに乗って海から遡上してくる魚たちは、大堰によって大半が行く手を阻まれ、遮断された流れの中に身を漂わせているものと思われる。
また、筑後川の終点である有明海の干満の差はもの凄く、大潮時の満ち潮が始まると、完全にこの大河は激しく逆流する。
上流と下流が逆転した果てに大堰が待ち受けている訳である。
自然的地理的条件から考えても、ここは様々な種類の魚たちの宝庫ではないかと、そんな予感がしてならなかった。
さて、ルアー&フライフィッシングも随分一般的になり、この手の釣りを紹介した雑誌も書店に数多く並ぶようになってきた。
「ルアーフィッシング入門」や「フライフィッシング入門」等と題する書物も続々出版され、釣りのイメージもだんだん変わってきたように感じた。
しかし、どの本のページをめくっても、記述されている内容は、決まり切ったことしか載せられてなくて、スタイルや格好だけが強調されている出版物も多い。
新しいタックルの広告を並べ、さも簡単に目標への到達が可能なような書き方をされている雑誌には、私の苦労の実績を物語るように、ときどき私は反発したくなる。
しかし、以前の雑誌には掲載されていなかった内容がひとつだけあった。
それは、ルアーやフライの釣りが広まったお陰で新しい釣りのポイントが開拓されて紹介されるようになった点である。
思いもしなかった場所で思わぬ魚が釣れていたり、以前、地図を頼りに私自身半信半疑でポイントとして絞り込んでいた所が、雑誌の記事となっていたりした際、非常に新鮮な喜びを感じるものである。
よって、大きな口にルアーをぶら下げている筑後川のスズキの写真を発見した時、私はその雑誌を強く握りしめていた。
スズキをルアーフィッシングの対象魚として表現する際、十数年前に生まれた言葉がシーバスではないだろうか。
硬い船竿を使用していた時代から、シーバスロッドなるものが誕生していった時の嬉しさを、今でも私は記憶している。
その頃、釣具店に頼んでわざわざ東京から取り寄せてもらった11フィート。
カーボンだが重い3本つなぎのこのロッドは、以前「ヤマメ研究会」の仲間たちと共にした、懐かしい思い出がいっぱい詰まっている一本である。
また、私たちがシーバスに熱中した頃、シーバスの特集がいくつかの雑誌に頻繁に組まれたのだが、どのポイントにもだいたい共通していることがあったように思う。
それは、魚が釣れる季節である。
私が読んだ雑誌には、秋に始まり、次の年の春までが一般的な釣期として記されていた。
つまり、夏は、シーバスと会えないのである。
ところが、書店で私が握りしめていた筑後川のシーバスは、なんと真夏の魚だったのである。
そして、私は大堰付近の干満の差を考え、11フィートの思い出のロッドを迷わず手にし、筑後川へと向かおうとしていた。
8月27日、私はK氏を誘い、久留米市の釣具店でシーバスの詳しい情報を集め、大堰へと急いだ。
釣具店の主人が言うには、「多分釣れますよ。
ロッドはバスロッドで十分。
ルアーはバイブレーションの超スローなリーリングがいいみたいです」との事。
何だか、以前私がやっていたシーバッシングとは攻め方が異なる。
とりあえず、パール系のルアーを一個買い、予備として車の中に載せていたセミダブルハンドのベイトロッドをセットして、私は懐かしい紫川のことを考えながら、楽しいキャスティングを繰り返した。
なるほど、干満の差があまりにも有りすぎるので、満潮にならない限り、ロングロッドの価値はない。
軽くて疲れないバスロッドの方が、土手沿いに設置された手すりを避けるのにも使いやすく感じた。
だんだん薄暗くなる頃、フッコクラスが私とK氏にヒット。
まさかこんなことがあろうとは思ってみなかったので、私たちはギャフを用意して来なかった。
水面から堤防までかなりの高さがあり、私もK氏もラインをゆっくりたぐり寄せ、魚を引き上げていたのだが、あえなく失敗。
8時過ぎ、2匹目がヒットし、今度こそは慎重に引き上げようと思ったのだが、これもまた失敗。
運にも見放された感があり、帰ろうと思っていた矢先、強い力が私のベイトロッドに伝わってきた。
30cm以上、ラインはリールから吐き出されている状態から魚とのファイトが始まった。
暗がりの中でギラッと鈍く光る魚体は、先ほどの2匹のシーバスとはパワーが全く違っていた。
今度こそは逃がすまいと、私は16ポンドラインの悲鳴が聞こえる程、硬いロッドを思いっきりあおり、フックを魚の顎に強く差し込んだ。
そして、左側の階段状の魚道へシーバスを導きながら泳がせ、K氏の助けを借りてやってランディングに成功した。
久しぶりに目にした70cm近いシーバスは、丸々とした魚体を横たえ、反射した外灯の明かりに照らされ銀色に輝いていた。
その後私は50cmを一匹キャッチし、疲れを忘れ満ち足りた気分で帰路についた。
何年ぶりだろうか、私は記念に残るシーバスフィーバーを味わったのだった。
一重に、書店で目にした一冊の雑誌が、魚と私との接点を与えてくれたのである。
その後も私は、シーバスとのファイトの感触が忘れられず、筑後川へ通い続けた。
しかし、80cm級の魚は、一発のエラ洗いで簡単にフックを外したり、ヒットしたとしても堤防の高さがランディングを困難にし、魚との隔たりを更に遠いものにしていた。
実は、この大堰付近での釣りは禁止だったらしく、みんなやっていたので、つい私も釣りを楽しんでいた。
足場も良く、なぜ禁止していたのか、今でも理解できない。
理由ぐらい明示してほしいものである。
ある晩、私はワクワクする気分を抑えながら、大堰のシーバスポイントへ向かい、ロッドにリールをセットしようとしていた。
その時、あたかも昔映画で見た刑務所の脱走者を照らすようなサーチライトを突然浴びせられ、おまけにスピーカーからはなにやらやかましい男の叱咤する声が辺りに響きわたった。
何が起きたのか。
無意識に訳も分からず、私はロッドとリールを握りしめ、一目散に逃げ出していた。
私はとても悪いことをしてしまったのだろうか。
法にふれるようなことをしてしまったのだろううか。
娯楽の楽しみを、暗闇からやってきた見えない恐怖が呑み込んだ。
数日前からの雨で、多量の土砂が堤防のコンクリートに残っていたらしく、滑ってバランスを失いそうになりながらも、とにかく私はサーチライトから逃れるために走り続けた。
一緒に来ていたA氏は、ちょうど餌釣りの準備をしていた最中で、突然の出来事に戸惑う時間もなかったらしい。
A氏は足場の悪い所を特に選んで走ったらしく、靴やズボンの裾は泥だらけの状態になり、何ともひどい有り様だった。
そして、この日のハプニングは、私たちをひとつの領域から完全に締め出す結果となったのである。
つまり、もう二度と大堰へは進入できないと思うと、私は誠に残念でたまらない。
この日から筑後大堰は、私にとって、とても近くにありながら永遠に近づけない、遙か彼方のパラダイスとなった。
勿論、スズキのポイントは、筑後大堰付近だけではない。
河口へ向かって数ヶ所、雑誌には実績のあるポイントが紹介されていた。
ぶらりぶらり、その場所を訪れ、ゆらりゆらりと私はルアーを泳がせた。
しかし、どの場所も私に満足のいく魚を与えてくれることもなく、ましてや、釣れるイメージさえ描かせてはくれなかった。
短かった夢も終わり、秋から初冬にかけ、私は近くの野池やダムでのほほんの暇つぶし程度のトップウォーターを楽しんだ。
鮮やかな紅葉が落葉へと移り変わり、肌に冷たさを覚える頃になると、私は来年の池田湖のことを考えずにはいられなかった。