
著:たくみ けいすけ
一、会長
星の綺麗な晩、会長と私は池田湖へ向かって出発した。
1月2日の夜、私は自宅で仮眠を取りながら、浅い眠りの中で湖の魚のことを考えていた。
「果たして今年は釣れるのだろうか?」「ルアーにするか、フライを使うか」「小さなルアーがいいか、それとも重いヤツで遠くを探るか」「湖の状態はどうだろうか」つまらない心配とワクワクするような期待感が、私の頭の中でぐるりぐるりと巡りながら、写真のファイルを見ているようにコマ送りされていく。
そして私は、けたたましい目覚まし時計のベルによって寝苦しい仮眠から逃れ、タックルの点検を始めていた。
しばらくして会長が「お待たせ、お待たせ」と、いつもの口調でやって来た。
釣りや釣具店の話、家族や友人の事等、お互いに自分の近況を報告しあいながら、車のトランクに私たちは荷物を積み込んだ。
さて、目的の湖に到着したのは、3日の午前5時だった。
はやる気持ちが車のスピードを加速させ、時間の流れを縮めてしまったらしい。
穏やかな波が湖岸の石や砂に当たる心地よい音を聞きながら、私は何も見えない真っ暗な湖を眺めていた。
車の中に横になっていると、だんだん正面の空が淡いブルーに変わり、湖はその全貌を次第に現した。
この間、どのように湖を攻めるべきか、私はさんざん考えた。
まずは一匹という、現状を何としても打破しなければならないという結論に達し、まだ慣れないフライフィッシングを諦め、私は5フィート半のスピニングロッドに5mのスピナーをユニノットで縛りつけ、近距離を数多く探ることに徹した。
近場を回遊してくるニジマスを想定しての作戦だった。
スピナーにしたのは、フィールドとしては異なるが、渓流の魚たちにとって好物のルアーだと思うし、数多くのアングラーが使用している、見飽きたスプーンよりも効果的ではないかと考えたからだった。
一投、二投、私は丁寧にキャストを繰り返し、ポイントを正確に想定しながら移動していった。
ふと周りを見渡すと、会長の姿がない。
気になって駐車場へ戻ると、会長の顔色が曇っている。
彼は、大切なロッドを忘れてきていたのである。
そして、この時のアクシデントが私たちに夢のようなプレゼントを贈ってくれるなど、二人とも知る由もなかった。
「しばらく見ているから、頑張って」と励まされた私だったが、午前の釣りを早めに終わらせ、鹿児島市内の釣具店へ急いだ。
シャッターを上げたばかりの店内に入ると、会長と私は、竿立てや天井に展示してあるたくさんのロッドの中からトラウト用のスピニングロッドを探した。
しかし、それらしき物が一本も見当たらない。
渓流や湖で使用するフライロッドやブラックバス用のベイトやスピニングロッドの品揃えは豊富なのだが、7フィート前後のロッドがどうしても見つからない。
困り果てた会長が、悩んだあげく手にしたロッドは、ホワイトカラーにレッドのスポンジグリップを持つ、派手な7フィートのボートプラッキングロッドだった。
湖には似合わないロッドを渋々購入した会長と私は、背の高いソテツの街路樹を見上げながら、海沿いの国道を南へとひた走り、途中で昼食をとった。
毎年、池田湖まで寄り道もせず直線的にやって来ているので、私たちはほとんど南国鹿児島のことを知らない。
立ち寄ったレストランで食べたボリューム満点のカツ丼や店の雰囲気に、旅の楽しさと温かい情話を感じ取った。
さて、昼間の湖畔には誰ひとり見当たらず、湖は静かに水面を揺らしていた。
早速、私たちは椅子を二脚草むらにセットし、美味しい会長のコーヒーで疲れを癒した。
上空から落ちてくる透き通ったライトブルーの光線は、広々とした水域を洩らさず埋め、湖を徐々に拡大化しているように感じさせた。
池田湖の巨大さは、やはり私たちを圧倒させてしまうのである。
この湖にやって来た釣り人は、何を思い、ひたすら同じ動作を繰り返すのだろう。
広大な湖を前にして、これといった決定的な手段もないままマスを釣ろうとする行為は、まさしく雲をつかむようなものなのである。
フックをくわえる確率は、数値として推測不能に限りなく近いのである。
私は、煙草をくわえながら、そんなくだらないことを考え、つかみどころのない焦燥にかられるのだった。
太陽の動きは正確に時を刻み、やがて風景の色彩を変えてしまう。
午後3時、やっと腰を上げた私たちは、重くのしかかる課題を解決させるべく、無言のまま水際へと歩き出した。
そして、信じられないことが起こったのは、腕時計の針が4時半を指した頃だった。
それこそが、私たちの目標であり夢にまで見た光景だったのだが、一瞬、私は自分の目を思いっきり疑った。
反り返ったロッドの先のラインは水中へと突き刺さり、付近の水面が右へ左へ飛沫を上げながら盛り上がっている。
穏やかに流れていた時は止まり、初めて池田湖に緊迫と至上の感激が訪れた。
我を忘れたままの会長の両腕に抱かれた魚は、口先がへの字に曲がった、言葉にはならないほど素晴らしい正真正銘のニジマスだったのである。
あの変なロッドが、とうとう念願の魚を仕留めてしまったのである。
そして、推定55cmのニジマスの写真を撮り、惜しげもなくリリースする会長の姿を、私は複雑な心境で見守っていたのだった。
二、私
大きな仕事を成し遂げ、この上ない満足感に浸っている友を、なぜか私は素直に受け入れることができずにいた。
彼の魚を見た時、私の驚きと喜びは、羨望の感情に変わり、やがて苛立ちや嫉妬へと移っていった。
そして私は、叶えることのできない寂しさに襲われ、痛烈な孤独感を味わっていた。
窮屈な心情は、会長と私の関係にさえ深い溝を形成しようとしていた。
自分自身、非常に狭い心の持ち主である事を重々承知していたのだが、私にはどうすることもできずにいた。
翌朝、何とか気を取り直した私は、懸命に湖に立ち向かった。
私に残されている道は、ただひたすらルアーやフライを水中で泳がせ、魚たちの目を留まらせることしかなかった。
休む暇もなく私はキャストにキャストを重ね、体力的にも精神的にも自分自身を追い込んでしまった。
私は、何処までも続く湖に決して背を向けることもなく、がむしゃらにロッドを振り回していた。
「ちょっと、僕、海に行ってくるよ」日中、会長は近くの海へエバという魚を釣りに出かける余裕を見せた。
そんな彼の言葉は、私の心情をさかなでた。
会長と私の心理状態は全く正反対であり、天と地の開きがあったのである。
後でわかったことなのだが、彼は、ここで万が一にもあと一匹、ニジマスを釣ってしまったらどうなるだろうと、私のことを危惧してその場を離れ海へと向かったらしい。
そんな彼の思いやりにも気づかず、実に恥ずかしい限りである。
そして私は、昼食の時間以外、これまでにない必死の挑戦を試みたのだが、結局、湖は私に何も答えてはくれなかった。
そして、私の背中の筋肉は鋼のように硬直化し、両腕はずっしりと重い丸太のようにぶら下がっていたのだった。
疲労に伴う身体の痛みと精神力の消耗は、私の口数を減少させ、自分らしさまで剥ぎ取ってしまった。
励ましの言葉など単なる偽善であって、私には通用しないと感じた彼は、宿の畳に寝そべって、面白くもないテレビ番組をじっと見ていた。
会長と私は、これと言って言葉を交わすこともなく、解決の糸口さえ見つけることもできずに、長く重苦しい夜を過ごした。
布団にうずくまり深い眠りに落ちた南国の夜も、気がつけば朝を迎え、私たちは最終日の池田湖へと急いだ。
疲労はピークを超え、病人のように横たわった私の身体を、穏やかな夜の空気が優しく癒してくれたらしい。
くよくよ考えず、多少ふっきれた気分で、私は早朝の湖の岸辺に立っていた。
たいへん風の強い朝で、私たちはちょうど7時にキャストを開始した。
物は試しとばかりに私は、日頃したことのない様々なルアーの交換をスピーディーに行い、湖の表層付近をスローなアクションを意識的に加えながら、スピニングリールのハンドルを回転させた。
強風に伴う波飛沫と斜め正面から差し込む日の光によって、ギラギラと水面は乱反射し、水中の様子は、いくら偏光レンズで注意深く覗き込んでも何一つ探ることができない。
うごめく湖は、完全に私たちの視界を遮断していた。
これでは、目を瞑ったまま釣りをしている状態に等しい。
私は、何度も何度も同じ方向へソフトなルアーの着水と、ゆっくり歩くようなリーリングを心がけていた。
そして、私の心臓を突き刺す感触が5フィート半のスピニングロッドに走ったのは、午前8時25分のことだった。
ラインの張り具合いから推測して、陸地からほんの4〜5・のポイントで、私のトリプルフックのスプーンをくわえた奴がいる。
だが、アッと思った瞬間、私の身体に生じた熱い電流は失望感に変わり、私を酷く落胆させた。
豪速球を投げるピッチャーの球を奇跡的にバットに当てることはできたとしても、ヒットさせることはなかなか難しい。
つまり、空振りの連続だった私のロッドが、初めて魚との接触を成し遂げたとしても、易々と思い通りにはいかないものにのだろう。
しかしながら、夕方までの数時間しか物理的に残されていないことを考えると、そうガッカリして悔しがっている暇も猶予も私にはなかった。
日が昇るにつれ、だんだん風や波もおさまり、水中の様子が徐々にはっきり私たちの目にも映るようになってきた。
すでに、レストラン「パラダイス」は開店の時間を迎え、私たちの背中の方では、にわかに人の気配が感じられる。
ちょっとひと休みのコーヒータイムに入りたいところだが、私は黙々とキャストを重ねていた。
魚がヒットしてフックを外すのを見た訳ではないが、先ほどのアタリがどうしても気になってしかたがない。
私は、ルアーやフライロッドを気の向くままに手に取り、無心に投げ続けるしかなかった。
静かな水面の下には、大きな沈み石が4個、不規則に位置し、その向こうは確認できない深場となっている。
そして、私は大変興味深い光景を目にするのだった。
突然私の視野に入ってきた二匹のニジマスは、大きな沈み石付近を悠々と泳ぎ去ったかと思えば、すぐ戻ってきて身体を絡ませたり、追いかけっこをしたりしている。
そして、太い体に付いている背ビレを水面から出して、まるでイルカのような泳ぎさえ見せてくれる。
いなくなったかと思えば、一匹現れたり、二匹のカップリングになったりと、彼らの行動を見ていた私は、ただの回遊には思えないものを感じた。
全くルアーなどには見向きもせず、魚たちは、彼らの意思が通じ合いながら、楽しんでいるようにさえ思えるのだった。
どれぐらいの間、私はマスたちの行動を眺めていただろうか。
見る者を考えさせる彼らのしぐさに、私は確かに時を忘れてしまった。
池田湖での最後の昼食を、私たちはレストラン「パラダイス」でとった。
奥の水槽にじっとしている大ウナギの見学をして、家族への土産を選び、私は午後のラストチャンスに、残された体力と精神力の全てを懸ける事を決心した。
「朝、フックに食いついた奴がいたと思うし、確かにマスは付近を泳いでいる…」会長は昨日同様、午後から海へと出かけた。
この日も高気圧が鹿児島地方を包み、日中は雲一つない晴天が続いていた。
朝と夕方には見られた釣り人も、さすがに昼間は姿を見せない。
つまり、湖には我一人なのである。
暖かい日差しは、筋肉痛と疲れによる眠気を誘い、意欲までも奪い去ろうとしていた。
耐えきれず砂地に仰向けになり、私はときどき背筋を伸ばし仰ぐのだった。
着用していた服装からして、私の身体から発する色合いは保護色となり、周りの色彩と同化していたにちがいない。
身も心もズタズタの状態であった。
だが、時間だけは冷酷に刻々と過ぎていくのだった。
だんだん日も傾きかけた午後3時過ぎ、私は一匹のニジマスを発見した。
その魚は、私のルアーを沈み石付近まで追いかけてきたのである。
多分、水中から私の姿を確認したのだろう。
スルリと反転し、マスは石の向こうへと泳ぎ去って行くのだった。
ところが、面白いことに、マスたちのこの行為は、私がルアーを変えてキャストするたびに繰り返されるのである。
スピナーには反応しなかったが、小型のフローティングミノーや10・前後のスプーンを後追いしてくれる。
同じ場所にキャストして、同じように追いかけてくるところをみると、マスは回遊しているのではなく、沈み石の向こうのどこかに固定的な住みつき方をしているように思えてならない。
4時を回る頃、マスを目の前にして、諦めと焦りとわずかな望みが、私を交互に襲い始めた。
日もだいぶ西に傾いた。
オレンジ色の太陽の輝きと水面から跳ね返る光線は、マスたちの行動の確認を不可能にさせた。
本当は、私たちの当初の予定として、三日目の昼に鹿児島を発ち、夜には福岡に戻ることにしていた。
私が計画変更を会長に話し、彼は快くそのことを受け入れてくれていたのである。
半日の延長も、約束の5時まであと一時間を切ってしまっていたのだった。
私は失望のどん底に喘ぎながら、午前中、魚がくわえたと思われる7・のゼブラカラーのスプーンのフックを、2本にシングルフックに加え、力のないキャストと、やる気を失ったリーリングを始めた。
1月5日午後4時25分、この瞬間の出来事を私は生涯忘れることはないだろう。
5フィート半のミディアムアクションのバスロッドに衝撃が走ったのである。
私の心臓は激しく動きだし、息は止まり、両足は支えをなくしたように宙を舞っている。
「来た!」と多分、私は大声で叫んだと思う。
そして、無意識のうちにフックを外されまいと、数回ロッドを強くあおり、固い魚の顎に深くハリ先を突き刺そうとしていた。
暴れるニジマスを、リールを巻きながら陸地へと引き上げ、私は両手でしっかりと抱きしめた。
三日間、キャスト、キャスト、キャスト。
そして体力と精神力の全ての結集が、ここに言葉では表しようのない幸せを与えてくれたのである。
ちょうど50cmの赤みを帯びた雄のレインボーを、私は震える両手に抱えほとばしる喜びを、会長が構えるカメラの中に納めた。
後で分かったのだが、実は、私がマスをかけた瞬間、会長は急いでカメラをつかみシャッターを数回切ってくれていた。
今でも私の日記に丁寧に張り付けているのだが、ヒットからランディングまでの様子がうまく写し出されている。
それだけではなく、開聞岳をバックにフライキャスティングを繰り返す私の姿や、疲れて寝そべっている様子など、この三日間を写真で振り返れるぐらい克明に、彼は撮影してくれていたのである。
私は心から彼に感謝している。
さて私は、待望のニジマスの口から鰓へストリンガーを通すと、身体を傷めないようにそっと浅瀬に放した。
マス自身、初めての恐ろしい体験に怯えていたのか、尖った上下の顎を忙しく動かしながらじっとその場に静止している。
私は、ちらっちらっとつながれた野性の魚に目をやりながら、この魚をどうするか悩んでいた。
会長はあっさりとリリースに踏み切ったが、私にはどうしてもそれができない。
無理なリリースは精神的に良くないと判断し、迷ったあげく記念に残す一匹として持ち帰ることにした。
現在は我が家のリビングに美しい剥製となって、淋しかった壁面を飾ってくれている。
私たちは湖からの素晴らしい贈り物をそれぞれの心の中にしまい込み、爽やかな満足感に包まれながら、憧れの湖「池田湖」を後にしたことは言うまでもない。