待ってろよ、魚たち。
著:たくみ けいすけ
 
1993年
 第62話 渓
写真007私はひとりのアングラーとして、決して恵まれた境遇ではなかった。

ずっとこれまで、フラストレーションは蓄積の一途をたどり、私ははけ口を探し続けてきた。

たった一匹の魚がこれほどまでに私自身への影響力が凄いとは、かつて思いもしなかった。

そして、やっと「池田湖」を語れる釣り人になれたような気がして、私は滲み出るような喜びをかみしめていた。

そして、今まで全然理解出来なかったマス族へのルアーのアプローチが、次第に全体の骨格を現してくるような感触を覚えるのだった。

その後私は、我が子を連れて近所の野池へブラックバスを釣りに出かけたりして、休日のひとときをのんびりと過ごしていた。

できれば、息子たちが釣りに興味を抱いてくれないかと、父親の願望と趣味を、単に押しつけようとしてたのかもしれない。

寒空の下、何も釣れないのに、子ども達が「楽しかった」と口にしてくれるはずもなかった。

さて、貴重なニジマスとめぐり会えた日から、何だか私の生活に微妙な変化が訪れた。

仕事をしていても、子どもと接していても、妻と会話を交わしていても、妙に自分自身の感情が安定しているのである。

それだけ私という人間は、前述したように単純なのかも知れないが、確かに身も心もこれまでにない健康な状態だった。

いつか私は、こんな話を聞いたことがある。

「人間の生活は、過去の素晴らしい思い出を語り、将来に希望を持つことによって守られている」というのである。

つまり、人間は親しい友人や知人に、自身の経験に基づいた思い出話を楽しそうに伝えたり、今後の人生への期待感を持ち続けることによって、安定した生活を保てるということを意味している。

人間の生命力そのものを語っているようで説得力のある言葉である。

写真008以前、新聞で目にした、ひとりの老人がある心情からやむを得ず引っ越しさせられ、初めての土地には語り合える人もなく、今までと異なった環境での生活に適応できずに病に伏してしまったという記事に通じるような気がする。

未来への期待や楽しみは、やがて懐かしい思い出となり、そしてその行為の積み重ねによって、人間は日常生活を送っていく上で大切な精神面での支えを形成していくのだろう。

単なる遊びの世界でも、これに類似したことが言えるかも知れない。

つまり、釣りの場面にこの話を無理に置き換えて述べようとするならば、少なくとも私は心のどこかに希望を持ち、念願の魚に会える日を描き続けてきたというこは、紛れもない事実なのである。

釣りの世界によって守られてきた私の生活。

生きがいこそ、生命の源なのであろう。

フライフィッシングとの出会いは、私の人生そのものに大きな影響を与え、遊びの領域を越えようとしていた。

そして、私は次の目標を設定して、遙か高い所にあるフライフィッシングの世界を、何とか手元に引き寄せようと原点に立ち返ろうとしていた。

書店の雑誌でヤマメの姿を初めて見た時の驚きと感動。

冷たく透き通った谷川の水と、目に焼き付くほど美しい風景が鮮明に思い起こされる。

そして、2月17日、私たち夫婦に初めての女の子が誕生した。

自然で清らかな人間に育つことを願い、私たちは彼女に「渓」と名付けた。

私は第三子の誕生を、ドア越しの長椅子に腰かけて、静かに見守っていたことは言うまでもない。

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