待ってろよ、魚たち。
著:たくみ けいすけ
 
1994年
 第65話 ナイスボディ
写真013昨年の池田湖でのニジマスは、私の心の中で今も輝き、ある意味での勲章となっていた。

この年も栄光を求めて、会長と私、そしてA氏も初めて池田湖を訪れた。

A氏にとって私の剥製がかなり強い刺激を与えたらしく、今回の同行を実現させた。

会長と私は、さすがに昨年の貴重な一匹の体験を持ち合わせているものだから、余裕のキャスティングを重ねていた。

反面、A氏は「本当に釣れたのか」と言わんばかりに、半信半疑の釣りを繰り返すしかない。

A氏の後ろ姿に、私たちは昔懐かしい自分たちを見るような気がしてならなかった。

結局、二泊三日の池田湖は、何ごともなく過ぎていった。

そして、A氏の家族と私は、2月にもこの地を訪れたのだが、強風と小雨が容赦なく私たちの身体を痛めつけ、ただ耐えるだけの非常に厳しい釣りを強いられるのだった。

この頃になると、A氏は自宅のテーブルの上に地図を広げ、地形条件を彼なりに考慮してのフィールド探しに余念がなかった。

そして時折、誰も行かないような近くの里川へ出かけ、見事に美しい良型のヤマメを手にして戻ってくる日があった。

もう、彼のバイタリティーには私も脱帽である。

同時に、完璧なまで渓流釣りにはまりこんでしまったというか、そうさせてしまったというか、私は彼の笑顔を見るたび、つい嬉しくなってしまう自分が可笑しかった。

やがて、A氏の努力は確実に実を結び、今までにない素晴らしいフィールドを探し当てた。

受話器の向こうから多少興奮気味に聞こえてくる彼の声に、私は釣友として熱いものを感じた。

その川は、彼の家から車で一時間程の距離に位置し、結構魚影も濃いというのである。

その証拠に、彼はその川でコンスタントにヤマメを釣り上げ、おまけに、彼の奥さんや娘さんたちまでも、ヤマメの虜にしてしまったのである。

そして私は、A氏の家族の行動に強く刺激されながら、7月の初旬になってその川を訪れる機会にやっとめぐり会えた。

我が家も家族5人になり、3番目の娘はまだ幼く、私も以前ほど思うように外出するわけにはいかない状態にあった。

A氏から釣りに行った話を聞かされるたび、あたかも猫の毛を尻尾から頭にかけて逆向きにかきむしられるような苛立ちに似た感触を、私は覚えるのであった。

久しぶりにケースから取り出したフライロッドは、自然の色にスッと溶け込み、私はゆつくりとスネークガイドにサンラインズオレンジの4番ラインを遠し、ただ一人存分にキャスティングできる喜びに浸っていた。

垂れ下がる木の枝や障害物を回避し、カーブやリーチやロングキャストを繰り返し、私は初めて歩く静かな谷川の流れを楽しんだ。

朝マズメを狙って、私は薄暗い時刻から冷ややかな外気を肌に感じ、川の中を歩いていた。

しかし、木々の間から差し込む光も徐々に厳しさを増し、更にその光が浅瀬の石や魚たちを照らす頃になると、私の表情はどうしても喜びから焦りへと移り変わっていく。

ここで一匹釣り上げたいものである。

私は、川の流れに逆らい、上へ上へと念願の一匹を求めて進んでいった。

段差のあるエリアを抜け、その上にある落ち込みへフライをキャストするため、ポイントを睨みながら前方の大石に左手を付こうとした瞬間、私はびっくりして身体から血の気が引いていくような寒気が走った。

ヘビである。

激しい流れを渡る途中の休息を私が邪魔してしまったのだろう。

ヘビは頭を少しだけ持ち上げ、横目で私をじっと見ている。

実は数日前も、私はヘビに驚かされた。

その日、私は自宅の庭で作業をしていた。

外の水道で手を洗おうと、何気なく私の顔に触れるほど茂ったサザンカの木に目をやった。

葉っぱや小枝の奥に何か太いものが見える。

何だろうと思い覗き込み、それがヘビだと分かったとき、私は後ろへひっくり返ってしまった。

とにかく私はヘビが大嫌いなのである。

写真014数秒間、私とヘビは、流れる水の音だけに耳を傾けながら、瞬きもせず静止画像のような状態を演じた。

私もヘビも身動きがとれない。

すると、ヘビも息が詰まったのだろう。

スルスルと大石から流れへ移動し、藪の中へ消え去っていった。

私はフッと気が抜け、川岸の岩にもたれ煙草をふかせた。

川は車道から離れ、このまま上流へ足を進めていつても、どこへ辿りつくか私には見当も付かない。

多分、周りの景色の様子から推察して、民家や車道は左手の小山をひとつ越えた向こうにあるように思える。

川を上るしかない自分と、深い森に覆われ心細くなっている自分の心境が、妙に重なり合い孤独感が増していく。

後戻りもできず、魚も釣れていない自分を励ましながら気分転換をはかり、私は右手にフライロッドをしっかりと握った。

さして私は、大石の上にヘビがいないことをもう一度確認して、すぐ上流へ目を移すと、畳2畳ほどの川底が肌色の砂で形成された小さなプールがあることに気づいた。

何かいそうな気配十分のポイントである。

どのようにしてアプローチをかけようかと考え込んでいると、その小さなプールが途切れ、すぐ下に、これもまた小さな落ち込みがあることに気がついた。

そして、その落ち込みには一本の流木が斜めに突き刺さっているのである。

周りの木の小枝に注意して、私は第一投のドライフライを白泡付近に落として。

反応はない。

第二投を水中から生えている丸太の脇に落とした時、私のカディスを、口を開けた一匹の魚がひったくった。

7フィートの4番フライロッドは、下流へ走った魚のパワーに負けまいと、見事な曲線を描き、必死で抵抗している。

極細のティペット付近を心配しながら、暴れる魚を私は足元の水中で捕まえ、やっと陸地に上げることができたのだった。

この川で初めてお目にかかった魚は、丸々と太ったパーマークのはっきりとしたナイスボディのヤマメであった。

メジャーを当てると25cmしかなかったのだが、胴の太さには驚かされた。

そして、午前9時20分、やっと見つけた車道へ這い上がった私は、坂道を急いで下り、キープした魚を車の中へ片づけようとしていた。

その時、ちょうどA氏と家族を乗せた車が、私の車の横を通り過ぎようとしていた。

A氏に、私は苦労して釣ったヤマメを見せ、満足な気分で帰路についた。

真夏になると、私は時々早起きしてブラックバスのフライフィッシングに熱中した。

水温の低い時間帯しかヒットしないことを今までの経験上十分知っていたので、私は夕方ではなくて、より確率の高い早朝にブラックバスをホッパーで狙った。

この頃になると、私は20ヤード以上のキャスティングが楽にできるようになっていたので、ブラックバスも意外と簡単に釣ることができた。

そして、ナイスボディのナイスバスと遊んだ夏は足早に過ぎていくのだった。

秋から冬にかけて、私はフライタイイングには努力したものの、公私ともに忙しく、とうとう一度も釣りにでかけることもなく、年の瀬を迎えるのだった。

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