
著:たくみ けいすけ
ここに私は、これまでの自分の釣りの履歴書のようなものをまとめるにあたり、自分自身に納得しているから、ここに記したのでは決してない。
逆に、まだまだ魚との付き合い方に不満をたくさん残しているからこそ、私の今の思いを不特定多数の悩めるアングラーに理解して戴き、そしてそれが活力となれば幸いと思い、恥ずかしい自分の内情を公開しようと考えた。
人間という動物は、利口な反面、やっかいな生き物でもある。
それは、ひとつの目的を達成したとしても、それだけでは満足せず、新たに一段高い目標を設定してしまうからである。
よって、新たな目標をつかむため失敗を繰り返し、悩みは拡大再生産され、尽きないものである。
無論、目的を達成した時の成就感は、自己満足の領域ではあるが、爆発的である。
釣りという遊びの世界でも、同様のことが言えるのではないだろうか。
ワームやクランクベイトで魚を釣ったとしても、いずれ、ペンシルベイトやポッパーで釣ってみたくもなるだろう。
ニンフやドライで魚をかけても、ときにはウェットで釣ってみようと思うだろうし、ストリーマーだってリトリーブしてみたくなる。
そして、そのひとつひとつの細かい過程で、釣り人は疑問や悩みを解決しながら、レベルアップを図っていくものだと私は考える。
つまり、釣りを愛好する者にとって、悩みを持ち続けるということは、違った見方をすると、大きな希望と夢を抱いて取り組もうとしている現れではないかと、私は今になって再確認するのである。
「期待通りにいかなくても、悩みだけが先行しても、それはそれでいいじゃないか。
着実に私は成長しているんだから」と、やっと最近私は、釣りという遊びを気楽に考えることができるようになってきた。
つまり、趣味や娯楽などというものは、自分自身を楽しませてくれるものとして、自ら作り上げていかないと、その活動が持つ本来の役目を果たさないと私は思うようになったのである。
以前私は、釣りの月刊誌などを読んだ後、不快な気分になる時期があった。
紹介してある記事には、誰しも大きな魚を両手で抱え、必死に喜びをかみころしながらシャッターを切った写真が添えてある。
なぜ、釣れない者の悩みや怒りのコーナーが掲載されないのだろうと、私は常々考えていた。
そんな雑誌を編集してくれる所があれば、どれだけたくさんのアングラーに勇気を与えてくれることだろうと、自分の経験を振り返りながら感じ続けてきた。
これだけの釣り人口の増加の陰には、悔しい日々を送っているアングラーだって絶対に多数存在するはずである。
よって、ここに記述した数年にわたる私の行動や思いが、そんなアングラーの人たちへの温かいメッセージになれば幸いである。
さて、夏の終わり、私たち家族はA氏の家族と共に、バンガローに滞在しての宮崎県は日ノ影川での釣行を計画している。
今回私は、A氏と久しぶりにフライフィッシングに浸ることができそうで嬉しく思っている。
子ども達は、谷川での水遊びに心躍らせ、妻たちは、見知らぬ土地で自然を満喫することに期待している。
終わってしまえば、ただの過去にすぎないことでも、今はまだ見ぬ夢となって、私たちひとりひとりの胸の中で大事に大事にしまいこまれているに違いない。
そして私たちは、たくさんの夢を詰め込んだ大きなバッグのファスナーをしっかりと締めるのである。
つまり、楽しみとは、永遠に未来形でしか語れず、ときには想像の世界から現実の世界をも動かしてしまうものなのかもしれない。
「十数年にわたる貴方のルアー&フライフィッシングにおける今後の夢は何なのか?」と聞かれたら、私は迷わず「フライフィッシング」と答えるだろう。
書店の雑誌で見た美しいアマゴの姿は、いつまでも私の脳裏に焼きついて消え去ることはないだろうし、渓流でのフライフィッシングのテクニックには、ずっとずっと奥の深さを感じ続けることだろう。
加えて、湖のマス族をターゲットとしたロングキャストも野性的でワイルド感溢れ、私にとって未開の地であり、刺激的な領域でもある。
当面、バックテールストリーマーの果たす役割は大きいと確信している。
最近私は、人の一生について、しばしば思う時がある。
それは、自分自身、日本人男性の平均寿命の半分を既に終えてしまったということを意識してしまうからである。
それに、人間の一生など、いつどうなるか全く分からないものであり、70年も80年もあるなんて考えるのは、大きな過ちではないだろうか。
大切な日々を有意義な時の経過として送っていきたいものである。
このように、私は、十数年にわたる釣りの日記から主だったことについて、記憶を辿り事実に基づいて記述してきた。
これを機に、私は気持ちを整理し、再スタートの節目にしていきたいと考えるのである。
「フライフィッシング」
遊びのひとつに過ぎないが、私の身体の中の指定席に住みついてしまった、良き人生のパートナー。
すでにマイナーなイメージはなく、すっかり釣りの一分野として定着し、私たちの釣りに対する過去の考え方を払拭し、改革をもたらそうとしている媒体。
私はこよなくフライフィッシングを愛し続けるとともに、この場を借りて、私を支え温かく見守ってくれている方々に、心から感謝の意を表したい。
最後に、我が息子や娘たちにひと言だけ伝えたい。
希望を持って、決して諦めることなかれ。
継続は力なりと。
それこそが、つまり、私の『待ってろよ魚たち』なのである。